「部落地名総鑑」発覚から40年(上)

水平時評 府連書記長 赤井隆史

差別事件、その共通した問題点

「『部落地名総鑑』を配っただけでは問題にならない」。この信じがたい発言は、広島法務局の幹部が2014年5月に人権擁護委員を対象とした人権研修で語ったものである。

事件発覚当時、政府は「部落地名総鑑」について、「さまざまな差別を招く、また助長する非常に悪質な冊子であって、配布、所持すること自体に非常に大きな問題がある」との見解を表明しており、悪質な差別文章であることは自明の理。この見解が現在も引き継がれるべきものであることは言うまでもない。

広島法務局の対応は、「部落地名総鑑」事件から40年を経て、なおこのような見解を示さなければならないほど、日本の法務行政の人権レベルが低いことを各界に周知してしまった、誠にお粗末な対応ぶりである。

地名総鑑事件とは

そもそも「部落地名総鑑」事件とはどんな事件であったのか。

1975年11月、部落解放同盟大阪府連に一通の投書があった。企業関係者と思われる人からの内部告発で、「地名総鑑を買わないか」というダイレクトメールとともに、「こういうことは許し難いと思うので大阪府連で取り上げてほしい」という手紙が添えられていた。

この投書をきっかけに第一の「部落地名総鑑」の存在が明るみに出て、大きな社会問題となった。あれから40年が経過しようとしており、あらためて「部落地名総鑑」の問題点とわたしたちのこれからの運動のあり方に、若干の問題提起をしたい。

事件以降、変化した差別の形

「部落地名総鑑」事件以後の40年を振り返れば、部落差別事件の共通した問題点として浮かび上がるのは、「おまえは部落出身である」といった事件や「被差別地域生まれのAはこの会社では雇わない」といった個人を特定した差別事件は影を潜め、部落=同和といった“属性”を暴く、もしくは調べるといった差別や増悪、排除、暴力といった差別としてわたしたちの前に現れてきていると思う。

1996年に発覚した差別身元調査事件も、部落に住んでいるかどうか、家族に障がいをもった者がいるかどうか、家族構成はどうかといった身元を調査するために、調査会社に依頼していたという企業の差別体質が問われた事件だった。2008年に起こった、マンションや分譲住宅建設の予定現場の風評や学校の評判、地域の特性などを聞き込みで調査する土地の概要調査の際にあった露骨な土地差別調査事件も同じような手口である。「不人気エリアに特化した学区」との表現や「地域下位地域」「○○区では最も評価が低くなるエリア。一部問題ある地域」との内容で、どれもが人が居住する際、避けたくなる地域、忌避意識を煽(あお)るような報告書を作成し、依頼者であるクライアントに渡していたという事件が明らかとなっている。

2005年には、行政書士らによる「職務上請求書」を不正使用して差別身元調査が依頼され、実行されていたという「戸籍不正入手事件」が発覚している。

2008年に戸籍法と住民基本台帳法が改正され、原則として本人以外は戸籍情報は取得できなくなっているが、司法書士など8士業の有資格者は、「職務上請求書」を自治体に提出すれば本人の了承なく取得ができるようになっている。

“属性”を暴く事件が続発

こうした事件のどれもが、被差別部落の出身であるA氏やB氏をターゲットにした差別事件という性格のものではなく、すべての被差別部落の出身者や部落に居住する人びとを対象にした、いわば部落と同和を対象とした“属性”を暴くための差別システムであることが、容易に理解されるであろう(続く)。