Vol.90 相模原の大量殺傷事件はヘイトクライムだ

何とも重苦しい心痛める事件が引き起こされた。それは、相模原市の障害者施設で起こった大量殺傷事件というあまりにも痛ましい事件である。

朝日新聞のサイトに、最首悟(さいしゅ・さとる)和光大学名誉教授の「今回の事件は猟奇的な犯行ではない。容疑者は『正気』だったと思う」とのインタビュー記事が掲載されていた。
以下、長くなるが一部要約して引用する。

「起こるべくして起こってしまった」。横浜市旭区で暮らす和光大学名誉教授の最首悟さん(79)は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件を知った時、そう感じたという。ダウン症で知的障害がある三女(39)と同居している。
「障害者は不幸を作ることしかできません」「日本国が大きな第一歩を踏み出す」。容疑者は、衆院議長に宛てた手紙にそう書いて、重度障害者を次々と刃物で殺傷したとみられている。
最首さんは容疑者が「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。
そして最首さんは、「共感する人も必ずいるでしょう」と言った。確かに事件後、インターネット上には、「正論」「障害者は生きていても誰の得にもならなかった」といった投稿が相次いだ。
「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」

 

朝日新聞 「植松容疑者は正気だった」 ダウン症の娘持つ最首さん

最首さんは障害を持っているすべての人を排除するよう風潮がひろがっていることに警鐘を鳴らし、「命とは何かを問うとき、その人の器量が問われる。障害者はいなくなってしまえばいい、というのは浅い考えだ」とも指摘している。寛容であるべき社会が、「障害者は社会のお荷物」といった偏見が強まり、社会から排除するような動き、さらには、殺害にまで及ぶ行為が起こってしまうような現代社会は、容疑者固有の考え方というよりは、社会に沸々とわき起こっているヘイトクライム(憎悪犯罪)として受けとめなければならないことは言うまでもない。

資本主義経済が行き詰まり、市場原理が行き着くところにまで到達した社会。一部の富裕層と多くの貧困層を生み出した格差社会の出現などによって、ひとびとの心をここまで追い込み、社会的弱者を排除若しくは、この世から抹殺しようという考え方にまで凶暴化・暴徒化するのであろうか。生産能力がない社会的弱者やマイノリティは、まさに『国家の敵』『社会の敵』であり、そうした人たちを殺すことは正義だとみなすというのはあまりにも常軌を逸している行為であることをあらためて強く訴えるものである。

人は誰もが、生まれながらにして生命の尊厳を有しており、どのような障害があろうとも、ひとりひとりの生命は大切にされるべきものであり、人権は最大限、尊重される社会でなければならないはずである。すでに、日本も批准している国連障害者権利条約では、第10条で「生命への権利」が明記されており、生存を否定する差別や権利侵害を禁じている。

障害者を対象とした大量殺傷事件の容疑者が語る「社会的弱者を暴力的に排除する」ことを正当化する言説こそ、障害者差別解消法や障害者権利条約の理念を全否定するものであり、社会的マイノリティ政策を土台から突き崩してしまいかねない。社会に蔓延する閉塞感や強者と弱者を明確に分断してしまう格差社会の存在。新自由主義から連なる経済の合理性のみを追求する社会の存在など、事件の背景にはいくつもの課題が横たわっていることは事実のようだ。しかし、今回の事件を障害者への差別意識が無差別殺人という襲撃行為にまでエスカレートしてきているヘイトクライム事件であるという共通認識が必要なことは言うまでもない。