部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2016年11月28日
第20回「部落解放島根県講座」にお招きいただき、ひとつの講座を担当させてもらった。その時いただいたお弁当箱の包み紙に、以下のような内容が記されていた。
「私にはうまれた時から 茨の道が与えられました 茨の道ばかりだと思っていました でもそうではなかった 私は仲間に出会い この会場で学び 変わることができました 私がこの人生を生きる意味を 知るために 私が両親を選んでうまれてきたことを 知るために 今度うまれるときも この地でこの両親を選んでうまれますように」
部落問題を説明するときに、「あなたが生まれてくるとき、親を選べますか?」と問いかけられるケースがある。
女性に生まれるか、男性に生まれるか、部落に生まれるか・・・選べないでしょう。つまり、部落に生まれたことが悪いのではなく、部落を差別する社会が悪いんです、という説明をされる方も多いのではないだろうか。
しかし、この“包み紙”には、「私が両親を選んでうまれてきたことを・・・」と記されている。また、「今度うまれるときも」「この地でこの両親を選んでうまれますように」と結ばれている。まったくの逆説である。
この地でと指摘されているところは、まぎれもなく被差別部落の地域であり、この両親とは、被差別部落出身者であろうことは想像がつく。今度生まれ変わることがあれば、また同じように島根の被差別部落に生まれ育ちたいとこの人は思っているのだろうか。
たぶん部落に生まれ、育つといったことが問題ではなく、部落解放運動に出会い、学び、自分を知るきっかけを部落解放運動が与えてくれたことが大きな人生の分岐点となったのであろう。そして生きる意味や明日への希望を部落解放運動に取り組むことで、再確認したのだと理解した。
素敵な両親なんだろうなぁと想像する。まわりの先輩や友達などに、恵まれているんだろうなぁと想像する。毎日が充実しているんだろうなぁと想像する。いや、もっと自分を知りたいとこの人は、思っているのかもしれない。
「私がこの人生を生きる意味を知るために」「私が両親を選んでうまれてきたことを知るために」、つまり、この人は、自分のことをもっと知りたい。その上で「生きる」とは、「生まれ」とは、こういった事をもっと突き詰めて自分探しの旅にチャレンジしたいという意味が込められているように思うのはわたしだけだろうか。
大阪の部落解放運動にこれほど、前向きに“この人生の生きる意味”を知るために奮闘している活動家が、わたしも含め何人いるだろうか。たしかに生まれを誇りとし、生きることを部落解放運動の糧としている人たちも多く存在するだろう。しかし、大阪の被差別部落の現状は、若い人たちが住み続けたいという住宅要求に応えるような多様なスタイルの住宅が供給できておらず、高齢者と社会的に追い詰められた生活困窮に陥っている人たちが集住する“まち”に変貌しつつある。
貧困と社会的排除が部落に押し寄せ、すべてを覆い尽くそうとしているといっても過言ではない。現在取り組まれている「暮らしのアンケート」において、全貌が明らかにされるだろうが、現段階においても「生活が苦しい」と答えた世帯が、全体の半数を大きく上回り、近隣トラブルや日常の困りごとに悪戦苦闘していると回答している層が、約7割以上というデータが示されている。
この地域で生きる意味が、いま問われている。
「同対審」答申以降、行政責任を追及し続けてきたまちづくり運動は、もう一度、この地域で生まれ育ちたいという夢や希望を叶えるまでには至らなかったのではないだろうか。わたしたちの未来予想図は、わたしたちの責任で描かれるべきであり、地域への投資や若者がこの地域でチャレンジできるようなきっかけをつくりだす努力は、行政にその責任があるのではなく、自分たちできり拓いていくべきものであることを、この“包み紙”は教えてくれている。