部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2019年6月10日
「年金に頼るな、自分で2000万円貯めておけ」と金融庁から報告書が出された。
「年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある」と指摘し、安心な老後のためには貯蓄として2000万円が必要だと政府報告書が言ったのだ。
おいおい・・・「100年安心プラン」と銘打って、年金で豊かな老後をというのが、政府の主張ではなかったのか・・・まあ〜たぶん年金は破綻しているとか、自分たちの時代には70歳の支給年齢が75歳や80歳になり、最後は米びつが空っぽになり年金ゼロという時代もあるのではないかと思っていた人たちが多数いたことも事実だろう。そもそも「100年安心」なんてウソっぽい話しをまことしやかに政治家が語っていることに違和感を持っていたヒトも少なくないだろう。
“自己責任押しつけ内閣”の登場で、高い保険金を徴収しながら、先々、年金は下がるから、自分で2000万円貯めておけという、オレオレ詐欺まがいの時代を迎えようとしている。
「100年安心プラン」を信用し、国が自分たちの老後はきちんと安心して生活ができるものと思っているひとは皆無だろう。もう年金制度自体が行き詰まっていて、40代や50代の人たちが年金を受給する年齢になれば、低い年金額でしかも支給年齢を遅らせることになるだろうぐらいのことは、承知していて、政府に言われるまでもなく、日本の年金制度はもう破綻寸前の危機的状態にまで至っているというのが、市民に理解されている共通項だろう。
政府として、年金制度で老後を生活していくという“公助型”の「100年プラン」を国民に提案していくのか、ここは、もう公助型はムリなので、“自己責任型”で自分の老後は自分で生活するという方向でやっていって下さいというのか、分水嶺に来ているという事を国民に提示し、今後の社会保障のあり様を問うべき時に差しかかってきているのではないだろうか。
北欧型のように、社会保障の財源の中心を税金とし、スウェーデンなどは国民一人あたりの社会保障費が世界一であり、小学校から大学院まで授業料は無料、病気になっても医療費は心配なし、失業保険も完備されている。その代わり、日々の給料の約半分近くは税金・社会保険料として引かれる。さらに、物を買ったり、レストランで食事をすると付加価値税が2割を超えるなど、高福祉には高負担が避けられない。こうした“北欧型社会保障制度”を日本としては取り入れていくのか。
それとも、アメリカように、社会保障は怠惰を促進するといった考え方で、生活自助の原則から私的保険が中心。全国的な社会保障制度は十分ではなく、医療保険に関しても、老人医療保険はあるが、個人主義が強いことと、民間の保険会社による各種保険の普及により、全国民を対象とする公的な健康保険制度は存在しない。つまり、自己責任で老後をのりきれという方向である。
「100年安心」はウソでしたと認め、どちらの道に舵を切るのか、日本も進路を決めるべき時代が到来していることを政治が追求しなければならない時ではないだろうか。
部落解放運動も「求める・要求する」という運動から、自分たちで「創造する・創りあげる」運動へと、スローガンだけは早くから提案し、呼びかけているが、内実はまだまだ要求運動型の思考から抜け出せていないのが現状だ。あの同和対策華やかりし時代が今一度舞い戻れるのではないかと思っている幹部・活動家も少なくないのかもしれない。
年金問題で例えるなら、各地域でそれぞれ責任をもってもらい(自己責任)協働型の市民運動(ネットワーク)で、地域課題の解決を図っていくという運動の方向に舵を切るべき時を迎えていることになる。自分たちの地域を自分たちで経営していくという気概を今一度自覚するべきことだろう。
ただ、部落解放運動は地域での協働の活動が原点であり、それが強みであることも事実だ。つまり、公助や自助とあわせて“協助”という地域ネットワークを持っている。自己責任だけが追求されるような優しくない社会ではなく、この地域で生まれ育ったひとをたったひとりにしない、居場所や出番が用意されている。そこにこそ各支部の強みがあり、つながりがあり、助け合いの関係が構築されているのである。これまで無自覚に行政に求め続けていた要求を自分たちでもう一度掘り下げ、どう解決に向け努力していくか、各支部・各地区の腕の見せ所である。