部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2019年8月31日
社会の高齢化が急速に進んでいる。
日本では2018年に約136万人のひとが亡くなっており、死亡者数が出生数(92万人)を大幅に上回る“多死社会”をむかえていると言われているらしい。
内閣府の推計では、20年後の死亡者数はさらに約30万人増加すると推定されている。
そんな中、厚生労働省が昨年3月に公表した「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、国民の約7割が自宅や介護施設での最期を望んでいると答えているそうだが、現実はどうかというと、7割以上のひとが、依然として病院で亡くなっているというのが現状のようだ。
こうした国民の意識と現状のギャップは、さまざまな医療や「死」の現場に影響を与えており、自宅や住み慣れた地域で最期を迎えたいと望む人が多いのに対して、それが叶うのはほんの一部にとどまっている現状をなんとか一歩でも二歩でも改善していく必要性が高まってきている。
「多死社会」が本格的に到来する昨今において、在宅医療が受けられる環境整備を各大阪の部落で整えていくためには、疾患を「治す」ことを重視する“医学モデル”という考え方ではなく、カラダの機能が低下しても質の高い生活を送れる環境を重視する“生活モデル”という考え方を地域に取り入れ、医療と介護、福祉と地域のコミュニティーを組み合わせることで環境整備を進め、ソフトランディングしていく地域連携社会の創造が求められている。
また同様に今後急増するであろう高齢者の孤独死に対して防止と予防、そして対処について真面目に向き合わなければならない時代を迎えており、「多死社会」は高齢者の孤独死について地域がどう真摯に向き合っていくのかが問われている問題でもある。
とくに孤独死の特徴としてその8割もが、ゴミ屋敷などのセルフネグレスト問題を抱えていると言われているそうだ。セルフネグレストについて、“緩やかな自死”とも言われているようで、暴飲暴食や医療の拒否、異常な数のペットの多頭飼いなどの状態のことを言い、自らを死に追いやるような行為そのものである。このセルフネグレストに陥るきっかけは、ひとによって千差万別であるものの、とくに高齢の男性の場合はつれあいの離別や死別などのショックで一気に転落してしまうケースが後を絶たないというデーターが公表されるなど、実態は深刻だ。
また、孤独死の平均年齢は61歳だそうで、その内訳をみると実に8割を男性が占めており、現役世代ともいえる年齢での孤独死の急増が社会問題にまで発展しそうな勢いだ。
さらには、発見までの日数は平均で17日目だそうで、中年男性が長期にわたって遺体が放置され、なかなか見つけてもらえないことで発見までの平均日数を上げているとさえいわれている。近所づきあいが比較的得意な女性に対して、ひとりになれば引きこもりがちな男性の孤独死は、社会から一定距離を置き、最近の希薄な人間関係と崩壊した地域コミュニティーが、“男性孤独死問題”を皮肉にもバージョンアップさせているという現状にある。
身の回りのことが億劫になり、次第におむつで排尿や排便をするようになり、カップラーメンばかり食べる不摂生な食生活へと変貌すれば、それはもう孤独死予備軍だ。アパートの雨戸は何年も閉められ、床にはウジが這い回り、エアコンは何年も使用した形跡がないというセルフネグレスト状態である。
また、孤独死が起きた物件は事故物件となり資産価値は低下、さらには強烈な異臭問題から近隣住民にも大きなダメージをもたらし家主に対する賠償問題にまで持ち上がるケースは少なくないらしい。中には体液が階下まで浸透し、原状回復するまで2週間。部屋の汚染除去の費用に700万以上を有したケースも紹介されている。
避けて通れない孤独死問題。こうしたセルフネグレスト状態に陥る手前で、見守るという地域連携や防止するという医療とのタッグ、発見するというメッセージの双方向による安否確認など、“ひとりにさせない”ための地域での工夫と試みが急務だ。府連は、その仕組みづくりの一貫としてエコー共催を提唱し、現在ではポイント制を導入し、家に引きこもらず地域への参加を呼びかけている。ふーどばんくではひとり暮らしのひとへの食料提供で安否を確認するというとりくみが始まってきている。また、蛇草と荒本の住宅では安心ドアセンサーで安否確認のとりくみをスタートさせている。
「終の棲家」について、まじめに論議する時代が到来したようだ。