Vol.169 私たちのことは私たちで決める アウティングが横行する時代に

「2022年の水平社100年まで後3年。特集を組みたいのですが、部落の地名を明らかにすることによって、差別を拡散させてしまうのではないかという心配が常にわたしたちの中に存在しています」。あるマスコミ関係者が率直な悩みを語ってくれた。

大阪の都市部落は、この10年あまりの間に人口構成が大きく変化し、半数以上の人たちが被差別部落を後にし、新たな層が地区に流入してきている。
また同時に、1969年以降の同和対策事業によって、大阪の被差別部落の環境は変わり、公営住宅が建ち並ぶという地域ではあるが、見た目には、そこが部落=同和地区だと認識することが困難になってきているという特徴も見られるようになっている。

つまり、自分が被差別部落の出身者であるという事を“引き受ける”ことで、カミングアウトしていくという部落差別に抗う姿勢を運動が意識するしないにかかわらず求めていくというスタイルになってきているように思うのである。

その一方では、「わざわざこの地域を同和地区だという必要はない」「これだけ混住しているのだから解放同盟とは名乗らないでほしい」という意見も昨今では根強いものがあることも事実である。
一体いつからこうした傾向が強く見られるようになってきたのか。

わたしは2002年の特措法期限切れがひとつのターニングポイントであったように思えてならないのである。大賀正行先輩がよく講演で言われていた言葉に、「住宅入りたかったら解放同盟」「子どもを保育所に入れたければ解放同盟」「高校、大学の奨学金の支給を受けたければ解放同盟」と地域に住んでいるほとんどの人を解放同盟支部に組織してきた例えとしてよく使われていたことを思い出す。
つまり、特措法が施行されていたときは、部落の人が積極的に名乗らなくても、法律自体が地域を線引きし、部落民を引き受けることで施策が成り立つという時代をつくりあげてきたのであり、積極的に出身を名乗るものではないが、同和対策はきちんと受給したいという要求の表れでもあった。

2002年後の法なき時代は、行政の対応も変化し、地域の環境改善もある程度まで仕上がってくれば、自ら進んで部落民を名乗ることを敬遠するようになり、運動への参加も足が遠のくという方向に向かうことはむしろ必然であったとすら思うのである。
そこに運動の不祥事が重なってきたのだから、当然のように部落解放運動の求心力は低下の一途をたどることになっていくのである。

しかし、ここにきて部落の地域や出身者を他者が暴くという、“アウティング”という差別が横行してきている。この実態をどうわたしたちが捉えるかである。
アウティングとは、とくにセクシュアルマイノリティの問題として扱われる場合が多いが。本人の許可なく人のセクシュアリティを勝手に第三者に言いふらすことという意味でよく使われる言葉である。
それに対してカミングアウトとは、これまで誰にも言ってこなかった自分の秘密を自らが話すことであり、自分のセクシュアリティを打ち明けること、という意味で用いられている。

鳥取ループ・示現舎の裁判の争点もこのアウティングにあり、勝手にここが同和地区だと暴くことの差別性、自己情報をコントロールする権利そのものを否定する差別行為であるという点が争われるべき争点だと認識している。

自分から出身であるということを宣言するカミングアウトと、本人の知らないところで勝手に暴かれるという問題はまったく次元の違う問題であり、「生命、自由及および幸福追求に対する国民の権利」を規定する憲法第13条の「幸福追求」という意味こそ、プライバシー権であり、人権として遵守されなければならない課題でもある。

障害者の運動で最近よく耳にするのが、当事者の意見を抜きに、わたしたちのことを決めるなという声である。部落がアウティングされる世の中である。部落民という当事者がそれに怒り、わたしたちのことは、わたしたちで決めるという運動の展開を求めたいものだ。