部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2020年1月21日
2020年という本年は、全国水平社創立の母体とも呼ばれる「燕会(つばめかい)」結成から100年という年にあたり、同時に女性による政治参加を著しく前進させた「新婦人協会(しんふじんきょうかい)」の結成から100年の年でもある。
奈良県柏原の青年を中心に「燕会」を結成、生活防衛のための消費組合の活動を続ける中、部落問題研究部を発足、社会科学の学習を積み重ね、懸命に部落解放の理論づけや方向性をさぐったと記録されている。
当時の被差別部落の中には「部落が貧困なのは自暴自棄で向上心がないからだ」「衛生観念に欠け教育に関心がない」「それは生まれが悪いからだ」といった差別観が流布しており、部落改善運動や同情融和運動と呼ばれた運動に対して「燕会」は、差別からの解放は自分たちの生活態度の改善や一般の人々の同情に頼ったものではなく、被差別者自体が連帯して挑戦しなければならないという持論を説き、差別から逃避的であった若い部落の青年の意識を転換させていくきっかけをつくりあげることとなる。
また、時代背景も大正デモクラシーの風潮が高まって来ている最中であることから、労働農民運動が勢力を得ようとしていた時代も、自主解放の運動を後押しした側面があったことも事実のようだ。
燕のように自由にどこへでも羽ばたいていけるようにという願いから名づけられた「燕会」は、全国の被差別部落を回り、路地路地で自主解放の精神を説き、勇ましい演説を繰り返していたのかとわたしは想像していたが、実はそうでもなかったとのこと。
もっと地域密着型で、低利の融資や消費組合みたいな生活相談をメインに、手ぬぐいやヒノキ傘を作っては販売するという、いわば“現代の生活総合相談事業” の原型みたいな活動を展開していたようである。比較的部落の中で余裕のある上層の子どもたちを中心とした「燕会」による地域助け合い運動が、人間として誇りうる運動を提唱した全国水平社の結成へと導いていくとは、実に面白い経過をたどっていると言うことを学んでおくことが重要だと思う。
つまり、現在の青年部が2年後、全国水平社創立から100年の年に地域密着の社会的起業による地域経営に本格的にとりくんでいるという姿を想像したいと思う。今年は「燕会結成から100年」にふさわしい年にするためにも若いメンバーには、大いなる挑戦の年にしてもらいたい。
女性の政治活動が著しく制限されていた100年前に「新婦人協会」が発足した。
当時の女性たちは政治的にも社会的にも男性の下に位置づけられ二流市民とされ、投票はおろか政治演説会にいくこともできず、結婚も自分の意思でできないというきわめて差別的な扱いをされていた。
その状況を変えようと全国の女性たちが立ち上がり、治安警察法の一部を変える活動を展開、女性の政治的・経済的・社会的地位の向上に努めた運動から100年だ。
今年は部落解放同盟大阪府連女性部の結成から50年の年でもある。大阪に「三川あり」と言われ、全国の女性運動を牽引してきたのが府連女性部の川本さん(矢田支部)、大川さん(住吉支部)、下川さん(西成支部)の3人だ。とくにわたしは西成ということもあって、“下川のおばちゃん”には大変世話になった。当時、解放理論の学習会といっては日之出の大賀さんの勉強会に日参していた時だ。下川さんから「あんまり勉強ばっかりして頭だけ大きなったらアカンねんで」「運動家は、地域を忘れたらアカン」「理論や理屈もええけど、難しい運動では地域のひとはついてきてくれへんで」と何度も言われたものだ。
卓越した女性活動家だけが府連女性部を支えたわけではない。府連47支部の多くの女性の参加が支部を支え、大阪府連を支えてくれたことは言うまでもない。また、これからも大阪の部落解放運動を支えてくれるのも女性だと思う。そして、NPOや社会的起業、市民活動といった新たなジャンルともいえる社会運動の基本は、タテ組織ではなく、ヨコ組織の時代である。つまりは、トップダウン型の社会運動と違いボトムアップの議論のプロセスを大事にする女性が得意とする分野の社会運動が、これからの時代の先進性を持った組織のあり様だと思う。
ツバメのように大阪中を走り回る青年たちの躍動感ある活動と、女性の持つ丁寧で繊細な議論を積み重ねた運動の一体感と存在感を十二分に発揮してもらう年にしたいと思っている。
2022年の水平社100年までの2年間。青年と女性のさらなる奮闘を期待したい。