部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2020年7月27日
総務省は、SNSで名誉毀損などの権利侵害にあたる投稿があった場合に、SNS事業者などが被害者に発信者が誰なのか?といった個人情報を開示するという方針を固めたという報道が新聞に掲載された。
SNSで誹謗中傷を受けた女子プロレスラーが亡くなったことをきっかけに、その投稿者を特定しやすくしたり、罰則を強化しようという動きが総務省や法務省といった関係省庁で進められているとのことである。
もともと鳥取ループをはじめとするネット上での部落差別の書き込みや過激なヘイトスピーチなど、ネット上の特性から、匿名性が高いこともあって、内容が過激な誹謗中傷にエスカレートしていく例は顕著であり、一度ネット上に掲載されてしまうと世界中に情報が瞬時に拡散され、完全に削除させるといった権利回復はきわめて困難な状況になっていることを府連は、早くから指摘してきたし、実効性のある法整備を求めてきた。
ようやくネット上の人権侵害を解消するための法制定の動きが、政府でも開始されたかと期待した。しかし、新聞から読み取れるのは、なかなか差別的な書き込みをした発信者情報までたどり着くことが困難な現行のプロバイダー責任制限法を一部改善し、被害者が弁護士を通じて携帯電話会社などに発信者の住所や名前といった個人情報を照会できるようにしていくという程度の改正であるようだ。
たしかに一歩前進というところだが、肝心の差別・人権侵害を解消するという一丁目一番地の法律の議論ではない。過激な誹謗中傷により、精神的なダメージがひどいといったケースや自死という最悪の選択をしてしまうほどのネット上の人権侵害に対して、被害を受けた人の救済と書き込んだ発信者への規制や罰則といった法整備の議論にまでは至っていない。
しかし、ようやくわたしたちの要望や残念ながら命をなくすという傷ましい事件、さらには、コロナ禍の中で起こってきているコロナ差別などがきっかけとなって、ネット中傷に対して迅速に投稿者が特定されることについては歓迎したいと思っている。
不十分な法改正にとどまりそうではあるが、肝心な差別・人権侵害が再三の削除要請にも従わない投稿者に対して、書き込みそのものを遮断してしまうサイトブロッキングによって、通信そのものを阻止してしまうと言う悪質な人権侵害情報の流布を根底から遮断してしまうと言う法整備にまで高めることが出来るかどうかがひとつの試金石だと認識している。
決して投稿者や発信者の迅速な特定にのみとどまってはいけない。それは、安易に裁判に持ち込みやすくなっただけで、肝心の差別が判定されたわけではない。しかもプロバイダ等の事業者が、これが差別でこれが人権侵害であるとの判断を下すことなど出来る根拠は何一つ存在しない。この判断こそが、法律で整備された政府からできる限り独立した“人権委員会(仮称)”という第三者機関が判断すべき内容である。
だからこそ、表現の自由の保障に十分な配慮がなされるものであり、決して恣意的な判断が優先されるという事態に陥らない事が大前提である。「なにが部落差別なのか」「人権侵害情報なのか」を時の権力者やプロバイダなどの事業者が判断することになれば、それこそ表現の自由に制限が生じる可能性があり、行き過ぎた規制により、市民生活の自由が抑制されたり、過剰な反応によって、表現の自由が脅かされる危険性さえ指摘できる。政府による差別という行為の明確化と法的に認知された第三者機関こそが判断すべき人権基準である。
コロナ禍の第二波がはじまったのではないかと世間が騒いでいる。緊急事態が宣言できない状況下にあって、職種と地域を限定した自粛を求めるべきだとの声が高まりを見せている。しかもそれに従わない業者にはペナルティを科すべきだとの声も日に日に増してきている。市民生活に一定の制限を加えようという憲法とは相反する考え方だ。しかし、世論は自粛警察が幅をきかすなど日本全体がコロナウイルスと闘っており、一定の自粛は守るべきだ。自粛では生ぬるいのであれば、法的規制を課せと声高に叫ぶ。“義務”と“自由”が天秤にかけられる今日この頃である。
命の選別という問いかけがあった。ALS患者嘱託殺人事件が発生した。どれもが考えさせられる出来事だ。やっぱり生きたいのが人間なんだと思う。それを手伝うことがわたしたちの世直し運動・・・いわゆる部落解放運動だ。