部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2020年9月24日
「自助・共助・公助、そして絆」。菅首相お気に入りのフレーズだ。「自助を真っ先にもってくるのは自己責任を求める極みだ」とか、「『まずは自分で頑張れ』は、政治の責任の放棄である」などと“左派リベラル”といわれるひとたちが一斉に批判を展開していたのに対して、わたしは、「ちょっとした言葉に噛みつくなぁ」と冷ややかに見ていた。
しかし「秋田の田舎から」とか、「サクセスストーリー」だとか、あれよあれよとモリカケは遠のき、桜はどこへやら、河井夫婦の逮捕は、どうも自民党本部にまでその容疑が及ぶような気配なし。マスコミも世襲首相ではないたたき上げ首相を持ち上げ、支持率はご祝儀相場の域を超え60%を超えるという熱狂ぶりである。
菅政権の看板政策として登場したのが、「デジタル庁」の創設で、縦割り行政を排して各省庁にある関連組織を一元化し強力な司令塔機能を持たせるのが狙いらしい。「少子化対策として不妊治療を保険適用にしたい」とか、携帯電話料金値下げなど、一国の首相としては少し小さい政策ではあるが、それが「菅新首相らしい」と持ち上げられるという始末である。
確かに不妊治療には相当の金額がかかるので、保険適用になれば助かる人も多数出るに違いないが、それが抜本的な少子化対策かと言われれば、首を傾げたくなるのはわたしだけではないだろう。生活不安で子どもをもうけることができない若いカップル、そのために結婚という籍を入れるという行為そのものさえなかなか踏み切れないカップルの存在が圧倒的ではないだろうか。
つまり、少子化対策と問われて出てきた発想が、不妊治療の保険適用というレベルでは、あまりにもお粗末としか言いようのない政策ではないだろうか。
そう言われて振り返ってみると、菅首相の言う携帯電話料金の値下げも、「規制改革」「既得権益打破」という三者独占の状態に突破口を開けるという痛快なフレーズに聞こえるものの一国のリーダーとしては、何とも小粒感は否めない。
アフターコロナという時代における大きな構想とか、国が進むべき方向を指し示すべきリーダー像があってこそ、世の中を変えるエネルギーが湧き上がるのだと思う。多くの市民も政治にはそれほど大きな期待をかけていない現れが、菅政権への高支持率の背景なのだろうか。
就任会見で菅首相は「行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます」「この内閣は、既得権益を打破し、規制を改革する、国民のために働く内閣」「規制改革というのをこの政権のど真ん中に置いています」と、持論である“小さな政府論”にもとづく新自由主義路線を全面展開している。
このフレーズどこかで聞き覚えがあるなぁ〜と思っていたら、灯台下暗しで、大阪における維新政治のキャッチフレーズとも言える聞き心地の良い“改革”路線そのものである。なるほど、大阪における維新の政治勢力は、実質“自民党菅派”となり、菅・松井路線の誕生を意味するのかと理解した。どうも橋下さんや竹中平蔵さんらをバックに政府は菅政権、大阪は維新政治という「規制改革」と「構造改革」を進めていく勢力がますます台頭してくることを意味する政治状況である。
11・1に予定されている住民投票も年内濃厚と言われている衆議院の解散総選挙もアフターコロナの政策論争が対立軸として争われる選挙争点に持って行くという努力が必要になってきている。本当に小さな政府で、規制改革でアフターコロナの時代を生き抜けるのか、医療体制や役所をさらに充実させ、競争ではなく共生の社会をどう展望していくのかが問われる選挙にしなければならない。
前回の住民投票では、大阪市内の振興町会が賛成反対で対立し、家族の中でも意見がわかれ、白か、黒かという二者択一は、対立と分断を煽る醜い部分を露呈した。それをまたぞろ大阪市民は経験させられる。賛成が上回れば、大阪市は廃止される。そんな究極の選択ではなく24区のままで良いのか、7区や8区に統合し、総合区にしてみるといった冷静な議論は出来なかったのか。
「いま言うても遅いわぁ〜」と叱られるのはわかっているが、そんな冷静な議論を持ち込んでみることで
前回の住民投票の際に起こった不幸な分断と同じ轍を踏むことだけは避けられるのではないだろうか。それこそ、REAL(リアル)にOSAKA(おおさか)を語ろうではないか。