Vol.195 行き過ぎた資本主義から地域共生のシステムへ

「冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって。うちの子どもたちは、僕がスクリーンを取り上げようとすると、まるで自分のカラダの一部を奪われるような顔をする。そして感情的になる。それも激しく。そのあと数日間、放心したような状態なんだ」。そう語るのは、アップル社幹部のトニー・ファデル氏だ。

スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏が書いた著書、『スマホ脳』(新潮新書)から一部を紹介した。

本書は、スマホが脳に及ぼす影響の深刻さについて警告しており、現在、大人は1日に4時間、10代の若者であれば4〜5時間をスマホに時間を費やしているらしく、そのことと精神的不調を訴える人がますます増えていることとは明らかに相関関係にあると結論づけている。スウェーデンでは、大人の9人に1人が抗うつ剤を服用し、不眠症で受診する若者が2000年に比べて8倍も増えているとのことである。

日本に目を移しても電車内では同様に皆うつむき加減で、スマホを操作しており、わたしの娘もテレビより携帯でYouTube(ユーチューブ)に熱中している。この「スマホ脳」では、10分に一度はスマホを開いて何か新しい情報が届いていないか確かめなければ気が済まないような中毒性を植え付けることができるかを行動科学や脳科学の専門家が研究しているとの事らしい。

イギリスでは11歳〜18歳の半数が夜中にもスマホをチェックしており、10人に1人は最低でも10回確認しているとの事。だから物事にじっくりととりくむことはなくなり、本を読み通すとか、上達に時間がかかるピアノやバイオリンなどクラシック楽器を習う生徒の数が著しく減っているという研究結果も紹介されている。

その結果、スマホの呼び出し音による「ドーパミン刺激」のことばかりが気になって、他のことに集中することができず睡眠にすら集中できない子どもが急増しているとの危険性を指摘している。

わたしたち人類は、行き着くところにまで至ったのか。もうこれ以上文明を前に進めてはいけないのか。アップル社の幹部の言葉ではないが、「僕たちはいったい何を創ってしまったんだろう」と思うような恐ろしい時代に突入したのではないかと、という考え方についつい陥ってしまう。

2020年は、世界的に新型コロナウイルスの感染が拡大するパンデミックを人類は経験した年でもある。このコロナ禍の原因においても地球の海や新緑といった大自然という財産を、人間の経済活動を優先させたことによるビルやダムの建設、農地開拓によって覆われてしまい地球の表層をそぎ落とすような環境破壊が産んだ人災だと指摘する声も上がっている。

大気中の二酸化炭素も、人間の経済活動のせいで急増し、上昇したCO2濃度をこのまま放置すれば、大気汚染に起因して何万もの人が死亡し、人間の認識能力を低下させるレベルに達すると言われており、さらに海面の温度上昇や熱波、巨大ハリケーンなどが気候変動の影響だと考えられている。

気候変動に代表される環境危機をここまで悪化させた原因は、無限の経済成長に社会を駆り立てた資本主義が原因ではないかとの指摘もあり、資本主義という際限なく利潤を追い求めるシステムが招いた悲劇だとも揶揄されている。

新型コロナウイルスのパンデミックもしかりで、自然の奥地の森林を切り開いていけば、未知のウイルスが表に出てくるのは当然のことである。人々が豊かな生活を送るために無限の経済成長を追求することによって、逆にこの文明そのものが脅かされているという悪循環ではないのか。また、スマホによる脳破壊によって、ひととの関係を遮断し、豊かな社会であるにも関わらず、疎外感を持ち孤立し続ける子どもたちが出現してしまうのか。飽くなき利潤追求という社会が限界に達している証ではないのかとさえ思う今日この頃だ。

地球が破壊され、人類の存亡がかかった危機が起きても、資本主義は動きを止めることなく飽くなき利潤追求を続ける。来年2021年は、脱資本主義とも言うべきもう一方の旗を掲げる部落解放運動への挑戦の年にしなければと思っている。

資本主義ではない領域を増やし、利潤追求とは無関係な地域共生システムの構築や、食を中心に据えた貧困と生活困窮を地域から一掃するための相互扶助の関係の確立など、地域を主体にした部落解放運動の本格的な出番の年とするべきである。

来年こそ実践あるのみの年としたい。