部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
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コラム | 2021年9月24日
谷元昭信さん(元中央書記次長)の講演をひさしぶりに堪能させてもらった。
そういえば18歳ぐらいから2ヵ月に1回ぐらいの割合で、何年ほどだったか・・・谷元ゼミの受講生として優等生だったかどうかは別にして、学習を積んだものだ。
あれから40年以上の歳月が流れたことになる。月日をめぐるスピードの速さに驚くとともに、頑張ってきたつもりではあるが、またまだ遅々として進んでいない運動の現状に対して、厳しく指摘してもらったと解釈した。
また、「府連委員長に期待する」「大阪府連としてこの考え方を発展させてほしい」と相変わらず(?)多くの注文を受けることとなった(笑)。
この講演の中で強調された歴史認識のところの「窓口一本化論争における同和対策事業(社会的富)の民主的管理・分配論」を、わたしは古くてもっとも新しい課題であると着目した。
「部落解放同盟は行政闘争によって勝ちとった『同和』事業を政府・地方自治体にゆだねて、融和主義的に実施することを許さず、民主的管理をおこなうことをつよく求めてきた」との説明や、「部落解放同盟が、要求別・階層別組織および『同促協』を組織し要求闘争を実際に指導したからといって、闘争の成果の獲得物はいうまでもなく、要求別・階層別組織および『同促協』がうけとるものであって、部落解放同盟が本来うけとるものではない。いわんや部落解放同盟の幹部が私的に受けとるものではない」といった、1970年から80年にかけて部落解放同盟として議論されてきた内容を紹介された。
当時若かったこともあり、「闘わざるものとるべからず」という考え方が自分の中でも強かったし、運動内部でもそういう議論を随分と重ねてきたことを記憶している。しかし、行政上の個人給付事業は、運動への参加の濃淡が資格条件となることは考えられず、当然、指定された地域で決められた項目に該当すれば受ける権利を要することとなる。当時各部落で結成されていた「教育守る会」や「保育守る会」「高校・大学友の会」など要求別・階層別に当時者を組織し、同促協方式という名の下、受給者はそれぞれの“友の会”に所属し、学習会や論文の提出などそれ相応の義務を負うという仕組みが定着していた。
しかし、この“友の会”での活動内容が、きわめて解放同盟の下部組織としての機能を果たし、恣意的に運営していると共産党系の全解連のメンバーが、友の会への入会を拒み、しかし同和対策事業は受ける権利を有すると裁判に打って出るという事態が生じた。全国的にもこの窓口一本化裁判があいつぎ、同促協方式という法人格を持った第三者機関が、受給資格などをチェックする機能を持っている大阪だけがその方式が妥当だとの裁判結果となったが、運動体にのみ窓口をひらいていた自治体は裁判にことごとく敗れるという結果となっていた。
大阪市内においても保育料の減免と保育に必要な物品支給という同和対策事業が当時、大阪市で実施されていたが、全解連系のメンバーの保護者が、地域の「保育守る会」への入会を拒否し、国に対して同和対策事業を支給せよと直接抗議するという事件があったことを思い出した。
当時は、たしか西尾正也大阪市長であったことを記憶しているが、こうした一連の行動に対して、西尾市長は、「わざわざ新幹線に乗って東京まで保育備品をもらいにいかんでも地元で支給させてもらうので、あんまり無理せんといてくれたら良いのに」と市長交渉で回答したことを覚えている。
ユーモアたっぷりに、同和対策事業の受給にあまり思想信条を持ち込まずに、地域住民仲良くやってやぁと市長が発言したのである。こちらの解放同盟側には、「○○守る会」をあまり解放同盟の考え方を強く持ち込まんと、上手にやってやという主張であり、全解連側には、解放同盟のすることすべてに反対せんと、もうちょっと歩み寄るようにとの注文である。名答弁とも言える“大岡裁き”を当時のわたしには解読不能ではあったが、いまになってなんと懐の深いおっさん(失礼ではありますが・・・)やったかとようやく理解できる年齢になったと当時を振り返らしてもらった。
社会的富の管理と分配という最近のコモンという考え方が、実は同和対策事業をめぐる窓口一本化という論争の中で、繰り広げられてきたのだという問題であったということに驚いたが、同時にその先駆性をしっかり検証せんかい!と谷元さんに頭を叩かれたように受けとったのは、わたしだけかぁ!