部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
1922年の全国水平社創立から今年で100年という記念の年を迎えた。
わたしも今年で還暦の60歳の年でもある。高校生の頃から部落解放運動に参加し、青年部運動を経験したが、その時の府連委員長は上田卓三さんであり、もう国会議員として活躍されていた。書記長には向井正さんが、運動全体の舵取りは大賀正行さんが牽引されていた。中央本部では、福岡出身の上杉佐一郎さんが委員長が務められており、文字通りオーラ全開、傑物らしい風格を持った威風堂々たる人物が、大阪でも全国でも部落解放運動を牽引されていた。
部落解放運動100年という節目からは、こうしたオーラを放つ傑出した人物によって進められる運動というよりは、多くのひとの参加による「全員野球」で、大阪の部落解放運動を盛り上げていくという方向に運動の舵取りが出来るかどうかがひとつの試金石でもあると思っている。
被差別部落からスタートさせる共生社会実現のための大いなる挑戦を府連がリーダーシップを果たすというよりは、すべての支部と一緒になって、額に汗して多くの仲間と創造していこうという、いわば地域からつくりあげる運動スタイルを定着させ、文字通りボトムアップ型の組織形態に同盟自身が変革を迫られるという時代認識からスタートしたいと思っている。
創立100年という歴史的意義を評価しながら大阪における差別に苦しみ、貧乏に窮している社会的困難を抱えた多くの被差別部落の住民と、さらには周辺をも巻き込んだコミュニティ再生と人権のまちづくりへ本格的な運動の展開が急がれる。
部落解放運動は第4期の時代に
これまでの100年の運動を振り返り、大局的見地に立って運動を俯瞰して見た場合、水平社が結成された1922年から二十数年を第一期「糾弾闘争主導の時代」と分類しており、続いて戦後から四十数年あまりを「行政闘争主導の時代」、そして現在までの二十数年間を「共同闘争主導の時代」として、第一期から第三期の運動として分類されている。
しかし、大阪の部落解放運動は、この十年近くは、「共生社会実現のために奮闘する部落解放運動」と位置付けられる新たな運動の段階に突入しており、いわば第四期の部落解放運動の創造・実践に入っていると分類して良いのではないかと思っている。
大阪府連は、ここ数年「一支部一社会的起業を起こそう」と呼びかけ、基金・助成金・補助金などを活用した資金調達を各支部へ提案し、多くの事業へのエントリーを実現させ、少しずつではあるが、確実に各支部にこうした意欲が芽生え始めてきている。行政依存から脱却しようというスローガン頼みではなく、現実的に基金等へエントリーすることを通じて各支部の“意欲”を駆りたて“自分たちでやっていこう”というチャレンジ精神が生まれ始めていることも第四期に運動が入ってきているという証しでもある。
都市型部落の典型とも言える部落の流出入問題は、人口の半数近くが入れ替わり、少しずつ人口が減少するという傾向をもたらしている。「同和地区に居住しているが、部落出身者ではない」という地域のひとたちも現れ、「荊冠旗の下に結集せよ」という呼びかけは、通用しない現状だ。しかし、まち全体は総じて貧困であり、社会的課題が集中しており、地域共生社会を実現するための地域経営という発想で、わがまちを変えようという機運が間違いなく広がってきており、大阪における部落解放運動のパワーの源となっている。
現行法の限界が明らかに
「このひとたちは、被差別部落の出身であり、住所や本籍地は以下の通りである」とプライバシーを不当に侵害した鳥取ループ・示現舎による裁判では、たった1万円や2万円という賠償の金額が提示されたが、肝心要の「侮辱の意志を持って部落差別をした」という部落差別が繰り返しおこなわれた犯罪性については裁判では素通りされるという結果となった。部落差別が社会悪であり、犯罪であるという明確な法的根拠がない以上、裁判での限界が明確になったともいえる判決となった。
つまりは、法的根拠の必要性が増したものであり、立法府である国会における部落差別の禁止を盛り込んだ法律の必要性がますます求められることとなった。こうした司法・行政・立法に対する差別撤廃・人権確立の闘いは、わが同盟として重要な運動課題でもあり、中央本部の果たす役割の大きさが問われている問題でもある。
それはまさに、国−地方−地域というそれぞれの領域において明確な運動方針が求められる時代でもあるということでもある。つまり、1950年代にとりくまれた国に対する国策樹立請願運動のような国に対してすべての力を総結集させるという運動スタイルは、もはや通用しない時代なのかも知れない。
多様性を力として
被差別部落の低位な実態が、すべての部落で共通した課題であったという時代は過ぎ去り、むしろさまざまな多様性を持った地域特性が現れ、その解決に向けたプロセスに違いがある以上、多種多様な運動の戦術が駆使されるというのが第四期論でもある。大阪府連は、もっとネットワーク型の緩やかな運動として広がり、それこそ地域では特性を持った活力ある地域コミュニティーの経営という方向に進みつつある。どの支部も支部長や書記長が、ソロバンをはじき支出をできる限り縮減させ、安定的な収入の確保に頭を痛めるという姿が、現代の地域における部落解放運動の姿だ。
つまり“地域経営”というキーワードで、コミュニティを再生させ部落が持っている資源(隣保館など)を社会的課題解決のために役立て、地域共生社会の実現にむけて奮闘するという部落解放運動第四期論としての実践に突入しているという時代認識である。
部落差別からの解放という目標を掲げ、1世紀もの間、社会運動が展開されてきた事例は珍しいと言えるだろう。その運動の原動力は、「差別を許さない人権保障」を求め続け、そのためには排除を許さない社会保障の闘いや戦争を許さない安全保障の闘いなどを通じて、水平な社会をめざす地域共生社会実現を目的とした運動を展望してきたからこそ100年もの運動が紡がれてきたと言えよう。
水平社が求めた「人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする」共生の思想を再認識し、大阪の部落から地域共生の大きなネットワークを創造する部落解放運動に邁進しようではないか。
さらなる団結を訴える。