東日本大震災の復興支援

南相馬拠点に継続して支援活動
「福島差別」に対する取り組みも

2011年3月11日に発生した東日本大震災とその直後の巨大な津波は東北・関東の太平洋岸に壊滅的な被害を与えた。また、地震と津波によって東京電力福島第1原発で事故が発生し、原子炉がメルトダウン(炉心溶融)を起こし、放射能が外部に拡散する深刻な事態を招いた。この結果、各地に避難した福島県民に対する差別も起こっている。

震災直後から日本国内はもとより、全世界的に被害者への支援活動が行われているが、部落解放同盟大阪府連でも義援金のカンパ活動に取り組むとともに、現地での復旧・復興に向けたボランティア活動に取り組んできた。

南相馬に拠点設置し継続的にボランティア

震災直後の3月19日には「被災弱者支援 東日本大震災大阪人権委員会」を設置。3月21日には灯油ドラム缶100本などの救援物資を被災地に搬送した。
4月からは青年を中心とした現地でのボランティア活動を開始。各支部、関係団体から寄せられた救援物資を被災地に届けるとともに、現地での搬送作業に従事した。
5月からは中川おさむ衆議院議員と連携し、南相馬市に拠点を設置。8月までの4ヶ月間にわたって府連の各支部、人権委員会の加盟団体、中川おさむ事務所・後援会などから約100人のボランティアを派遣し、現地での泥だしや物資の搬送などを行った。

力強い太鼓の音色が勇気を

震災発生から半年の9月11日には、南相馬市への復興支援の取り組みの第1次集約として「南相馬復興支援和太鼓フェスティバル」を開催。大阪人権委員会、中川おさむ事務所から109人のボランティアが南相馬市にかけつけ、大阪ならではの「お好み焼き」「たこ焼き」などの粉もん屋台を出店。大阪の太鼓グループの力強い演奏で1600人の参加者を大いに勇気づけた。

福島差別を許さない

原発事故に伴って多くの人が福島県外に避難するなか、その避難先で子どもが「放射能がうつる」などといじめられたり、福島ナンバーのクルマがガソリンの給油を拒否されたりする「福島差別」の事例が相次いでいる。こうした現実を社会に問う「福島差別を考えるシンポジウム」を12月にひらき、桜井南相馬市長から震災から続く深刻な実情の報告を受けた。