Vol.240 今年は米子全研 27年前の出来事から差別の根深さを思う

部落解放研究全国集会。いわゆる全研が今年は鳥取県米子市で開催される。米子市と聞いてわたしは、いまから27年前の事を思い出す。

事の発端はこの年の4月に米子市に住む女性Aさんが、娘の交際相手の男性Bさんについて、「西成はいろんな方が住んでいる特殊な地域と聞いており、部落や在日、ホームレスやあいりん地区がある危険なまちと聞いています」「どうか、わかるのであればBさんの住むところが、どんなところで、Bさんがどんなひとかを教えてほしいと思います」と西成区役所に手紙で問い合わせるという出来事であった。

西成区役所は当初イタズラではないかとの疑いを持ったが、Aさんの電話番号の記載があったため、電話をしたところ、「どんな人物か教えてもらえるのですか」とAさんが返答したため、「そんなひとのプライバシーや個人情報についてお答えすることはできません。むしろそれは差別にあたる身元の確認であり、問題ですよ」とAさんの手紙による問い合わせが、人権侵害に当たる問題であると指摘し、これからの話し合いを提案し、この事件が世に問われるという事態となった。

Aさんとの話し合いの場がもたれ、わたしも何回となく鳥取の米子に出向いた。Aさんは、「西成という所は、被差別部落の存在だけではなく、あいりん地区や在日コリアンが多く居住する地域で、危険なところ」だというイメージを釜ヶ崎暴動などのテレビから連想してそういう危険な地域であるという認識を持つようになったと素直に語ってくれた。

また、部落問題については、Aさんが20歳のときに交際していた青年について親戚から「あの人は部落だからつきあわないほうがいい。結婚すると大変なことだよ。離婚するなんて言うと暴力をふるわれるよ。」と忠告を受け、“部落はこわい”という偏見を持つようになったと語ってくれた。

わたしはその時、Aさん自身が真面目にその青年のことが好きであり、真剣な交際をのぞんでいたという空気がこちらに伝わったし、それを親戚から反対され、泣く泣く交際を断念したという気持ちがありありとわかるAさんの告白であったような記憶がある。にもかかわらずである。
自分が反対され、交際できなかったそれこそ悔しい当時の気持ちとは裏腹に、自分の娘さんの恋愛においても反対してしまうと言う偏見というか、差別意識の根深さに改めて驚かされたことを昨日のことのように鮮明に思い出す。

部落出身者という個人に対しての好き嫌いの感情以前に、部落全体は「恐いところ」「近づかない方が無難なところ」という“恐い”“暗い”“閉鎖的”という三悪条件が、そろい踏みで部落への偏見を強め、同和のひとはこわいひとたちの集団、イコール解放同盟というイメージさえもつくり出された虚像だと言わざるを得ない。

Aさんとの話し合いを数回かさねた後、「今後、人権啓発の学習会などへ積極的に出向き、勉強していきたい、部落への偏見が簡単には払拭できないものの学習を積み重ねていく」という本人の反省もあり、Aさんとの話し合いは終えたつもりだったが、終了後、突然Aさんから、「これでオモテの話し合いは終わりですね」「あなた方のウラのひとたちはいつ来るんですか」と問い詰めてきたのである。

Aさんは、「話し合いのあと、殺されませんか」「(部落解放同盟の)裏の組織が殺しに来る夢を見ました」と語ったのだ。

自分が20歳の時に好きになったひとが、部落出身者で、交際を親や親戚から反対され結局は、別れてしまうと言う苦い経験をした方である。しかし、Aさんの中では、好きになった青年は部落のひとの中でも別の世界に存在しているひとで、ほとんどは“恐い”“暗い”“閉鎖的”なひとたちの集団が“被差別部落”だとの根強い偏見を持ち続けて親となり、娘さんが同じようなひとを好きになった可能性があるのなら、その青年個人の性格などは二の次で、暴力的で危険な部落の関係者との交際を認めることはできないという立場であったのだろうと推測される。

部落への偏見は本当に深刻なほど、根深いものがあり、“恐い”“暗い”“閉鎖的”というイメージがなかなか払拭できない現状でもある。「優しい」「集う」「開放的」という部落のイメージへの転換という地域共生の部落解放運動を一歩ずつ積み重ねていく以外に方法はないだろう。