部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2022年11月30日
中央本部で全国4ブロック別の解放学校が開催された。
その第1講として、部落差別の実態と題して関大の内田教授、同じく石元名誉教授、そして大阪公立大学の阿久澤教授からそれぞれ講義を受けた。
その中で、最近の学生が持つ部落に対するマイナスイメージについてが、興味を引いた。
部落に対するマイナスイメージについて、上位を占めるのが、「閉鎖的」「貧しい」「暗い」「こわい」がワースト4で、39%から18%と高い数値を示している。
もう少し突っ込んで話を聞いてみると、「自分の住んでいる地域には、部落など存在しない」といった意見や「自分の周りには、部落出身者などいない」という結論にたどり着くという。
つまり、部落問題は自分の生活するテリトリーには存在しない問題であり、歴史的経緯において差別されるような地域があったという過去形の問題であり、いまもなおそういう人たちが、生活している地域があれば、それは暗くてこわいところであり、よそ者を受けつけない閉鎖的な貧しいひとの集まりであり、それが自分の周りではなく、どこか異国ほどの遠いところに存在するのが、現代の部落問題という理解となる。
歴史に重点を置いた同和教育は、近代に入り、部落がどのように変化し、現在に至るのか、具体的な説明がないため、本当に「部落」や「部落出身者」が身近なところで、自分の生活に密着したところの問題なんだという認識がまったくないというのが、若者の部落に対するイメージだと強調されていた。 たしかに先生が、高校や中学校で同和教育を教えた場合、生徒から「じゃあ先生。その部落ってどこにあるのですか」と尋ねたら、「それはねー」で済まされてしまい、それ以降、なにも触れてこなかった。少し悪い印象を持ち、それから先生には聞きにくい問題なんだと勝手に理解したとアンケートに答えている生徒の話が印象的だ。
さらに、「部落について授業で聞いたが、触れてはいけないものとして扱われているように感じ、先生方も深く追求してくれませんでした」との回答を寄せている学生もいた。
リアリティのない部落問題。自分がいる世界とは遠くかけ離れたどこかに存在するのであろう部落や部落民といった理解が、現代の部落問題として学生たちに語られている実態なのだ。
こうした異次元的な部落問題の理解に対して、どのようにしたら部落問題を正しく認識してもらうことが可能なのか、それはまさに隗より始めよだ。つまり、遠い世界の部落問題から身近で自分の生活圏に部落問題があるんだという事実をしっかりと学んでもらう機会をつくることが最善のようだ。
「閉鎖的」「貧しい」「暗い」「こわい」という四大悪に挑むには、それこそ「解放的」であり、「貧しい」が心豊かで、助け合いの人間関係が満ち溢れ、明るく朗らかで、優しいまちづくりが進められている部落にようこそ、というウエルカム型の部落解放運動が、マイナスイメージからの転換につながり、それこそ遠い世界から身近な関心事にバージョンアップされていくことになるだろう。
学生たちの遠い存在としての部落問題の理解は、「わたしはそもそも差別なんかしない」「部落であるかどうかはわたしは気にしない」と差別そのものに着目しないという回避という立場を選択しているように思うのは私だけだろうか。つまり、その時点でマジョリティという優位な立場に立っているという自覚はまったくなく、差別とは無縁という立場こそが、平等な社会を構成するという考え方が形成されているように思う。それを回避的レイシズムといい究極の個人化につながると先生たちは分析している。
生活圏域に部落の存在を登場させ、そして部落のひとたちが、どんな生活をしており、共同的な営みを繰り広げているのか、また子どもたちの様子や文化、習慣などを同じ目線で学ぶことによって、部落に対するマイナスイメージを身近なイメージへと転換させるきっかけを多くの若者に体験してもらうという出会いの場が大切だと痛感する。
知らないという偏見が、差別にならないようにするためにも、「ひとから見聞きしただけの部落問題」という殻を破り、「部落を知り、部落出身者と語り、出会いを紡ぐことができる部落問題」にバージョンアップさせる工夫がこれからは大事な人権啓発である。差別は、自己責任ではない。社会的な責任であるという理解を広めていくことが大事なこれからの部落解放運動の課題だといえる。