部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2024年6月28日
小学生や中学生が、校門を出て学校から帰路につくとき、だいだいどの学校でも正門近くに選挙が近づけば、ポスター掲示板が設置されるものである。そのポスター掲示板がヘイトに吹き荒れているのが、7月7日投票の東京都知事選挙である。
立候補者が総勢56人で、「NHKから国民を守る党(以下、N国党)」からは、一人しか当選しない知事選挙に24人もの候補を擁立、ポスター掲示場所が24人分確保されるわけであり、それこそ“広大”な宣伝場所を確保したことになる。また、その掲示スペースを事実上“寄付”と称して“販売”するという公職選挙法が想定していない悪辣な手法で、自由なポスター掲示を呼びかけている。
知事選挙の場合、供託金は300万円で有効投票総数の10分の1にいかないと供託金は没収される仕組みとなっているが、N国党がポスター掲示で実質売買され党に寄付される金額を考えれば、十二分に元が取れる計算となる。
また、別の候補は、全裸に近い女性の画像が載ったポスターを掲示。警視庁が警告を行い撤去させられている。さらには、「外国人生活保護の廃止」といった主張をポスターに掲げる候補も立候補している。まさに選挙を悪用したヘイト行為が広がってきている危険な兆候だ。
と言っても東京の知事を決める選挙である。大阪からすれば対岸の火事だと多少高みの見物と言ったところでもあったが、なんとそのN国党のポスター募集に飛びつき墨田区内の掲示版1ヵ所のポスター25番から48番までの24枚分すべてに、「同和対策 是か非か!?」というテーマで、さまざまな図案で、差別扇動とも言える“歪んだ同和行政”を一方的に主張するという行為に走った者が登場した。それが、鳥取ループである。しかもポスター掲示場所が、墨田区の隣保館的機能を有する施設の近辺であることを考えれば、挑発的な嫌がらせ行為であることが理解できよう。
この「同和対策 是か非か!?」ポスターは、掲示責任者名と住所の記載がなかったことと、複数のスペースにまたがる表現は禁止されていることから、すぐに撤去させられたようだが、複数のスペースでの主張ではなく、掲示責任者名と住所さえ守られるようなことがあれば、また差別ポスターが、掲示されるという不安は拭いきれない。
事実上、選挙用ポスター掲示版が、「販売」されるという公選法が想定しない予想外の出来事とはいえ、学校を登下校する子どもたちが、このポスター掲示の無残な惨状を見て、政治に対して夢や希望が持てる現状とはほど遠いと言わざるを得ないだろう。また、テレビでは、拡声器を大音量でしかも電話ボックスの上から大声で他の候補に対して誹謗中傷を繰り返す姿や、宣伝カーによるカーチェイスまがいでの暴走行為など、政治への憧れを根底から崩し、呆れてものも言えない惨状である。
お高くとまり他人を見下すような自信過剰な政治家を好まないのは世の常ではあるが、異なる意見に対しても一定の節度を持ったディベートが求められていることは言うまでもない。
しかし、この東京都知事選の様相は、ディベートの範囲を超えた“罵り合い”であり、しかも差別であり、ヘイト行為である。いかに表現の自由が大事であるとはいえ、そこには責任がつきまとうものである。鳥取ループが張り出したポスターには、1975年前後の同和利権に対して、当時共産党が繰り返し主張していた一方的な考え方が、そのままポスター掲示に利用されている。決してフェアーと言える主張ではなく、それこそフェイク情報である。しかも50年近く前の出来事である。
政治の劣化で済まされるわけにはいかない。政治の閉塞感という先行き不透明だとの指摘もそぐわない。相も変わらぬ与野党の茶番劇に飽き飽きした有権者が、刺激を求めこうした一連の攻撃的な破廉恥な行為に走らしたのか。世界的にもアメリカでトランプ氏が登場するなど、いままでの常識を破り、“民主主義とは”、“国家とは”、“法の支配”とはといった政治の根幹をなすような議論は大きく後退し、自分ファーストともいえる自国のみ、自分のみというエゴだけが先行する政治に陥ってしまったのか・・・有権者の一人として反省させられるものである。
松本治一郎、松本英一、上田卓三、小森龍邦、松本龍、松岡徹などなど、歴代部落出身の国会議員たちが権力に挑んだ部落解放と人権確立を求めた強い意志を再認識し、政治は今後も期待すべきものであることを強く訴えるものである。