2025年4月24日は、大阪の部落解放運動にとって大きな節目の日を迎えた
コラム | 2025年4月25日
コラム | 2025年4月25日
2025年4月24日は、大阪の部落解放運動にとって大きな節目の日を迎えたといってもいい日だろう。
それは、公益財団法人大阪人権博物館(以下、リバティおおさか)と大阪公立大学との間で、リバティおおさか所蔵資料約3万点が大阪公立大学へ移管するための基本合意が結ばれた日だからである。
兎にも角にも時間を有したが、さまざまな関係者の努力によって、ようやくここまでこぎ着けることができたと思っている。あらためて関係する団体や機関、個人も含め額に汗して努力していただいたことに感謝したい。
わたしは、兼ねてからリバティおおさかという箱物施設を新たに建設するということが目的となって運動そのものが前のめりになり、自前の博物館や解放運動丸抱えの資料館という運営形態をめざすという方向だけは、次世代に引き継いでいくという責任からもなんとか回避したいという強い思いがつねに自分の中にあった。そのための方途と行く末を慎重に判断し、責任者のひとりとしてそれこそ持続可能な未来に展望できる方法はないか暗中模索を繰り返してきた。
長い歳月を継続して運営していくには、莫大な費用が必要であり、持続可能性の観点からも現実的ではない。しかし、きわめて公共性の高い人権分野の貴重な資料を枯渇させるわけにはいかない。人権資料という「宝の山」を最大限効果が発揮できる“居場所”とは、如何にあるべきか、自分への葛藤がスタートした。そのヒントの第1は、社会的差別の貴重な資料は、きわめて公共性が高いという点にあった。
つまり、部落解放運動側のエゴを強調するのではなく、しかも市民側からの無理強いでもない。公的な責任として、とくに大阪における社会的差別の変遷や動向といった歴史性を公的に確認させるためには、きわめて公共性の高い機関や施設での所蔵資料の活用が一番望ましいのではないかと思いついた点である。
第2のヒントは、人権資料という「宝の山」は、決して、時の首長や政治家の恣意で判断が損なわれてはいけないという問題であるという点からだ。社会的な差別という問題は、つねに当事者が声をあげ続けるべき課題であり、権力サイドに対しては、つねに“抗い”続けるのがマイノリティであり、当事者の声だということ。
差別を受け続けている当事者の叫びが、貴重な資料となり、それが時を経て社会的な共有財産として認知されるにまで至ったのである。そうした貴重な資料がもっとも公共性の高い機関で活用されるならば、マイノリティ当事者として喜んで協力しようという判断からである。
被差別部落にいまも居住し続ける者や出自をもつ者、被差別マイノリティという属性をもつひとびとは少なくない。こうした属性をもつひとたちが消滅したり、社会から消え失せたわけではなく、当事者として存在しているという事実を裏づける説得力ある“証”が所蔵資料3万点であり、それがこれからの日本や大阪を担っていくという次世代の若人が集う大学に寄贈され、活用されることを大いに期待したい。
リバティおおさかは、ご承知の通り、大阪人権歴史資料館としてスタートしている。それは部落問題を中心とした歴史資料の常設展示などから発展し、ここから公益性と公共性を発揮する公益財団法人への移行、つまり、“人権に関する総合博物館”という道をたどった。
部落解放同盟として水平社から引き継がれてきた100年以上の運動の歴史や貴重な資料をその責任において同盟組織が保管継承し、発展させていくという運動の役割そのものの大部分をリバティおおさかに任せてしまったことは反省材料のひとつである。人権資料としてさらに社会的な共有財産として広く多くのひとびとに活用されるべき資料と運動の財産として解放運動の歴史的資料として運動側が保管しておくべきモノとをキチンと整理しておく必要があったであろう。
ここまでに至る経過に多くの方々の支援や協力があったことを感謝したい。
さらに、あらためて広く人権にかかわる貴重かつ重要な社会的共有財産に関して、最善の方法が実現可能なところまで到達したことを喜びあいたいと思う。夢の実現まであと一歩である。