『レ・ミゼラブル』から現代の「蜂起」を考える 

アカデミー賞8部門にノミネートされているミュージカル映画「レ・ミゼラブル」は昨年12月の封切り以来、いまだロングラン上映が続いている。小生も高校3年生の娘と一緒に映画館を訪れた。実にすばらしい作品だと言うことは、娘と共通した感想ではあったが、多少、感動の場面が年代によって、異なる印象を持った。

原作は1862年に発表された小説で、格差と貧困にあえぐ民衆が自由を求めて立ちあがろうとしていた19世紀フランスが舞台。主人公ジャン・バルジャンの波瀾万丈の人生を中心に愛娘コゼットとの父子的な愛や、コゼットとマリウスの恋、離れて暮らす娘コゼットを思いやるファンテーヌの母の愛。いくつもの愛のエピソードが、さまざまな形で表現されており、見る者を感動に誘い込む作品だ。

物語のテーマは「真実の愛」ということに帰結していくのであろうが、小生が強く印象に残ったのは、パリの下町を舞台に、貧困にあえぎ自由を求めて革命を志す学生たちが蜂起する場面である。「革命」を求めて学生たちが「蜂起」するが、バリケード戦で学生たちは敗北し、無惨にも凶弾に倒れていく・・・。

「格差と貧困にあえぐ民衆が自由を求めて」・・・立ち上がっていくという設定は、今日に通じる普遍的な問題として捉える必要を強く感じたところである。社会的な格差が増大し、富がますます少数に集中する現代。映画の中で学生たちが求めた「革命」というスタイルは、現代社会においてはどのような形態に変化しているのだろうか。

映画の中の「バリケード」は、やはり“ストライキ”なんだろうか、“デモ行進”なんだろうか・・・映画に触発されながら、現実の格差と貧困に対して民衆が立ち上がるのにはどんなスタイルが求められるのだろうか。映画を見ながら答えに窮していた。

横で見ていた高校3年生は、果たして「革命」や「蜂起」といった19世紀の民衆の“世直し”を求めた学生運動をどんな意見を持って見ていたのだろうか。

いまは幸いなことに銃を使う必要もない。直接に命が危険に晒されることもなく、格差と貧困反対の活動は展開できるはずである。しかし、現実にはそんな活動が最近では、“反原発10万人集会”と沖縄での基地反対の大集会ぐらいしか思い当たらない。ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を見てそんな感想を持つのは小生を含め50代以上の世代に限ってのことなのだろうか。

「非暴力」のメッセージや“反貧困”のとりくみ、格差是正のための幾つかの試みなど、現代社会ならではの「蜂起」のスタイルを見つけ出す必要があるだろう。映画を見ていた娘の世代がこれからの「悪政に抗して人民が“蜂起”する」-そのすがた・かたちを発見してくれるだろう。そのために小生の世代がおぼろげながらもそのスタイルの原型を見つけ出すために・・・まだまだ額に汗して奮闘しなくては。(A)