部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2013年5月16日
「いつまで議論と検討を続けるのですか?」「進むべき方向は決まってるじゃないですか」「解放同盟○○支部はこれからも地域に必要なんですか」。
これは、5月の11日・12日にかけて開催された部落解放同盟大阪府連の幹部活動者合宿でおこなわれた9名によるシンポジウムのなかで出された発言の一部である。それぞれ地元での実践を中心に報告してくれたが、本当に親身になって住民の相談に耳を傾け、ちょっとでも良い方向にもっていこうとしている日々の悪戦苦闘の状況が語られた。
被差別部落の中は高齢化が顕著だ。しかもそこに貧困が覆い被さり、生活保護率の高さと教育における就学援助費の受給率の高さも目を覆うばかりである。こうした地域住民を前に熱心に、「解放同盟を続けてや」「いついつの集会参加してな」「解放新聞読んでや。ついでに支部費払ってなぁ!」と声をかけ続ける支部役員の努力には本当に頭が下がる。しかし、こうした深刻な生活実態のなか支部費+新聞代を納めてもらうことが、解放同盟の同盟員・支部員としての自覚を確認することにつながるのであろうか。解放同盟に入っているという自覚は、同盟費を払うことにあるのだとすれば、それは生活水準から判断しても相当減額しなければならない状況にある。それだけ貧困と社会的排除が被差別部落を蝕んでいる。
府連で始めた「連帯分担金」とは、文字通り“連帯”と“分担”の会費である。つまり、「分担」は助け合いであり、共助であり、相互扶助という考え方だ。「連帯」は大阪府内47の連帯であり、つながりであり、それこそ団結である。わたしは、府連の書記長として幹部合宿において、その「連帯」と「分担」を二つの解放同盟で展開しては、どうかと提案した。
「分担」してわかちあう意味は、相互扶助である。パネラーのほとんどが指摘した被差別地域の貧困と排除にどんな歯止めの施策を展開できるのか。地域のおたがいさまというつながりをつくりあげる“社会的包摂”型の同盟組織の建設を、という提案である。支部に入会しているかどうかが判断基準ではなく、地域に居住し差別を受ける可能性のあるすべての人々を対象にゆるやかにつながるネットワーク型の組織というイメージだ。
パネラーの一人がこんな提案をしてくれた。「社会的包摂の方の組織は、支部や人権協会、社会福祉法人や生協、NPOやまちづくり協議会など地域を支える組織が、一同に集まり、地域のためにお互いの組織の利害を超えてまちのためにつながる組織のことを言うんだろう」。ぼんやりとではあるが、組織の未来を予想してくれた発言だ。
もう一方の「連帯」は、被差別部落の出身というアイデンティティと、部落差別克服に共感と志をもつ持つ人なら出身者でない人も参画できる“部落差別克服”型の同盟組織の提案である。被差別部落の地域に矛盾と課題が集まっているが、それを差別の結果だと断定するにはあまりにも説明の不足である。さまざまな多元的要因が重なり合うことで、被差別部落に貧困と社会的排除が集中するのである。
つまり、現代の部落問題は、部落内だけでなく、部落の外にも課題が山積しているのである。大阪では被差別部落に生まれ、一生涯を被差別部落で暮らす人は少ない。出生地は被差別部落だが現在の居住地は一般地域という人々も多くを占めている。にも関わらず、部落解放同盟は、地域を基盤として存立している。
部落に出自を持つ少なからぬ人々が地域から離れているのに、いつまでも基盤は地域にあり、と頑張っているのである。被差別部落を離れたからと言って被差別部落出身であるというレッテルが剥がれるわけではない。黙っていれば、「隠し通せる可能性のある部落出身者」であると同時に、「暴かれる可能性のある被差別部落出身者」なのだ。その“心の葛藤”に寄り添うことの出来る組織こそ、部落差別克服を目的とした同盟組織ではないだろうか。そのためにこそ、もっと狭山に、もっと差別禁止の法律を求める運動に、少人数でも高い志を持った組織が求められている。
「いつやるか? 今でしょう!」のフレーズがちまたで流行している。
解放同盟の“改革”“改革”とかけ声は、もう十数年できかないほどの年月を数えている。検討という言葉で、先延ばししてきたのが現状だ。あらためてもう一回確認しよう!
「いつやるか? 今でしょう!」