部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2014年2月10日
「ふーどばんくOSAKA」が呼びかけたボランティア体験デー第1弾が、1月25日の土曜日に実施された。
10チームで、27か所に配送するという作業であり、20数名が心地よい汗を流した。
届け先の中には、母子家庭のシェルターや児童養護施設などが含まれており、施設の職員さんが、配送した商品を笑顔で受け取ってくれた。フードバンクの取り組みを広める意味でも品物を受け渡ししている場面を写真にしたいとの旨を施設側にお願いするのだが、「わたしたち(職員さん)は写っても良いが、子どもはダメですよ」、「施設の場所がどこかわからないような写真にしてください」との意見をいただいた。
どの施設も「ふーどばんくOSAKA」の白いジャンパーが目に入ると快い歓迎ムードで受け入れていただき、配達するメンバーにもやる気をもらうことが出来る。しかし、各施設ともさまざまな事情があり、入口が何重にも施錠された扉や、入口がわかりにくい構造にしている建物など、決してどんな方でもウェルカムという施設ではない。
色んな事情で、施設に預けられる子どもたちや、つれあいから逃れ、何らかの理由でシェルターに逃げるようにして居場所を確保した母親など、それこそ、家族とひとの数だけさまざまな事情が複雑に重なりあっているのだろう。
さまざまな事情を抱え、社会に自分の情報をオープンに出来ないひとたちが大勢存在している。こうした人たちの事情と向き合うことが重要だと思う。「写真に写らないようにする」とか、「場所をわからないようにする」といった配慮や遠慮は当然のことでもある。
このボランティア行動と軌を一にするように、日本テレビ系連続ドラマ『明日、ママがいない』が大きな話題となっている。児童養護施設で暮らす“親なき子”を題材にしたドラマであり、「赤ちゃんポスト」に預けられた過去から「ポスト」と呼ばれるなど施設の子どもたちの強烈なニックネームが登場するほか、施設長が「お前たちはペットショップの犬たちと同じだ」と里親に「かわいげ」を見せるよう要求する場面等が登場する。
日本テレビは「困難に立ち向かいながら、愛情や幸せと見つけていくという点を、最後まで見てもらえれば理解していただける」と説明していたが、ここに来て、番組内容を改善する意向を表明した。予想を超える苦情などが寄せられたことが要因となったのだろう。
本来なら、専門家と何度も話をすり合わせ、実際の施設の協力も得て、一緒になってドラマをつくっていくべきなのだろうが、想像するに「今のテレビ業界は忙しく、時間も金もない。専門家や施設と協議していては、とても締め切りに間に合わない。最終的に『もうこれでいくしかない』と判断した」ということなのだろうか。
一昨年に起こった『週刊朝日』による橋下大阪市長の出自問題も同じように、“売らんがため”
“部数増を狙った目玉企画”が行き過ぎた取材をつくりあげ、身元調査的な取材となり、結果、部落差別を拡大・助長させるという記事内容になっていったのである。行き過ぎた市場原理が招いた差別と人権侵害事件である。
せかせかした現代社会や、“生き馬の目を抜く”せちがらい世の中には、ともすれば「人権」は相反する思想として位置付くこととなる。心に余裕や少し立ち止まって考えるというゆとりがない社会は、ひとを蹴落とすことを優先させ、抜け目がない他人を出し抜いて素早く利を得ようとする人たちを急増させることになる。
『明日、ママがいない』というドラマを批判することは簡単である。当事者の声を無視していると主張することは大事なことだと思う。しかし、“生き馬の目を抜く”せちがらい世の中に抗するためには、フードバンクなどの市民活動を呼びかけ、ひとりでも多くの方にボランティアに参加してもらい、その実践を通じて、「写真に写らないようにする」とか、「場所をわからないようにする」といった配慮や遠慮が、当然であるという考え方に立ってもらう人たちを増やしていくという努力が必要だと痛感する今日この頃である。