民(たみ)が主(あるじ)の党には女性の視点が不可欠

水平時評 府連書記長 赤井隆史

12月14日の投開票で衆議院選挙が行われることが決定した。
選挙争点が曖昧なまま、大儀なき選挙といわれており、安倍首相の長期政権をねらった国民不在の総選挙といわざるを得ない。
わたしたちが支持する民主党が、政権から転落して以降、支持率の回復もおぼつかないまま選挙を迎えることになるが、何とか反転攻勢を強め、反自民勢力の中心を担う党として勢力拡大を成し遂げて欲しいと思っている。

わたしたちが、民主党を支持する最大の理由は、民主党が「民(たみ)が主(あるじ)の党」であるからだ。市民が主人公の政党という党是を支持しているのである。
しかし、現在の民主党は、「民(たみ)の主(あるじ)の党」と思っていないか、と首をかしげたくなる昨今である。市民の代表とは聞こえがよいが、“上から目線”で、市民のためにしてあげる、施しの発想が党の中に充満しているように写るのはわたしだけであろうか。
「市民との協働」という問題意識は、「違いを認め合う」と理解することであり、だからこそ粘り強い議論と合意に至るまでのプロセスを大事にするという政治手法にあったはずである。

安倍首相も橋下大阪市長も多数を驕り“トップに一任せよ”という力による政治を標榜し、“○か×か”、“白か黒か”、“賛成か反対か”、と二者択一をせまり、はっきりさせることが政治の姿であるかのように国民に映し出すことで、支持を拡大してきた。
こうした危険な政治を抑止できる党に生まれ変われるかどうかが民主党の生命線だと言えるだろう。特定秘密保護法も、集団的自衛権の解釈も、原発再稼働も、あまりに拙速であり、日本が危険な方向に帆を進めていることは誰の目にも明らかである。抑止できる民主党に再生を期すためにも、「民(たみ)が主(あるじ)の党」という民主党に原点回帰することだ。

そのキーワードで大事な視点は女性の視点だと思う。もっといえば“女性資本主義”という考え方を政治に取り入れるべきだと訴えたい。
「女性資本主義」という言葉は、「開拓」「征服」「自己満足」「利己主義」という、いわば男性型の対決的な政治ではなく、「共感」や「信頼」、「愛情」「きずな」「利他主義」という、女性型の井戸端会議的な政治が求められていると言いたいのである。
暮らし感覚や、地域感覚、縦社会ではなく、横社会のつながりで個人を支配しないということをルールに、ネットワークする新しい政治スタイルの登場である。
部落解放・人権研究所の理事にもなってもらっている「全日本おばちゃん党」におもしろい感覚を見いだすことが出来るだろう。
つまり、そもそも民主党が掲げた市民との協働という言葉こそ、そういう視点であり、合意形成をめざすための「居場所」と「出番」づくりを女性の感覚で取り組んでもらいたいと思っている。

「政治の『場』づくり」を、今回の選挙のポイントとして創意工夫してみる価値があるように思っている。“組織で決めた決定”や“推薦候補の徹底”といった従来の上から下へと組織に伝達するという推薦行為そのものが、大衆から支持されない組織の理屈なのかも知れないと憂いているのはわたしだけだろうか。
「『都』構想」という上から目線の改革ではなく、“お茶飲み話”という市民目線から政治をつくりあげていく下からの積み上げによる「政治の『場』づくり」に今回の総選挙、試みてみる価値があると思っている。