部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2016年5月30日
5月20日衆議院法務委員会において、自民・公明・民進の3党共同で、「部落差別の解消の推進に関する法律案(以下、「部落差別解消法案」という)」が提出され、趣旨説明がおこなわれた。しかし、最終的には、衆議院法務委員会で継続審議扱いとなった。
自民党によって次から次へと繰り出される矢継ぎ早な人権に関する施策。最近の事例を列挙しただけでも、障害者差別解消法の制定と障害者権利条約の批准(2013年)からはじまり、婚外子差別に関わる民法規定違憲判決と民法改正(2013年)と続き、本年には、ヘイトスピーチ解消法案の制定(2016年5月)がされ、また、LGBT対策法案が検討されていたり、アイヌ民族に対する法案の検討も進められているとマスコミで紹介されている。部落差別解消推進法案も含めこれら一連の人権諸施策がなぜ、自民党側から提案され、推進されているのだろうか。その真意がどこにあるのかを考察したい。
まずそのヒントは、昨年の11月に開催された和歌山県による「人権フォーラム」における稲田朋美自民党政調会長の講演内容から伺える。「それほど人権侵害かどうかというのは非常に曖昧な定義なんですよね。そうするとやっぱりそれをちゃんと裁判所で人権侵害かどうか決めるというのはいいけれど、それ以外の強力な機関を使って人権侵害のおそれがあったら立入調査をするということになると、どんどんとですね、表現の自由とか政治活動の自由が狭められてしまうんじゃないかっていうのが我が党のですね、一般法として人権全体を護るということを、侵害を認めないという法律を作ると、そういう曖昧な時に表現の自由やら、あと政治活動の自由が阻害されるんじゃないかということで、個別法で行こうということになっているわけですね。それで我が党は個別法で行こうということを選択して、例えば高齢者の人権侵害とか障害者の人権侵害とか、あとDVとかですね、個別の人権侵害についてそれぞれ手当をしていこうというのが我が党の方針であります」と講演で述べている。
つまりは、人権施策の前進や差別禁止という「包括的(基本)な法」については、否定的な態度を取り、あくまで「個別的(課題)な法」で対応しようというのが、現在の安倍自民党政権の基本姿勢である。いみじくも「人権侵害救済法」や「差別禁止法」は、人権や差別の定義が曖昧な現状において、独立性のある国内人権機関の判断に委ねるという手法は明確にとらないと宣言していることになる。「表現の自由」や「政治活動の自由」を確保するためにも国内人権機関によって、勝手に人権侵害と判断されては困るという権力側の意図が見え隠れしていると捉えるべきであろう。
パリ原則に基づく国内人権機関の設置の必要性について、再三国連から指摘されているにも関わらず、裁判所の判断だけで良しとし、何が人権侵害に当たるのかを明確にしないまま各々のマイノリティ問題には個別法で対処するという「人権」の本質を棚上げした一連の人権関連諸施策であることを見ておく必要がある。
とはいえ、安倍政権のもとで困難な局面に風穴が開けようとしていることは大いに評価すべき事であり、憲政史上はじめて“部落差別”という明確な用語を用いた法律が提案されたことは、大いに意義あることである。現在においても部落差別が存在していることを認め、部落差別が許されないものであるとの認識を示したことは、画期的なことでもある。
衆議院において、継続審議となったことは残念ではあるが、次の国会への足がかりを残したことはチャンスでもある。自民党が目論む各々個別の人権の法体系という背景を見抜いた上で、「部落差別解消法案」成立の運動と“包括的な人権の法制度”確立要求の運動とを車の両輪として展開するための論点整理が必要なことは言うまでもない。