Vol.101 人権の法制度を補完する民間のとりくみが急務

最近、いろんな所で「可視化」という文字を見聞きする。
「研究の可視化」や「業務の可視化」「内部の可視化」といった言葉が連なることが多く、言うところの“見える化”である。この可視化というフレーズが、「貧困の可視化」、さらには「人権の可視化」という言葉として登場してきており、少しばかり注目したいと思っている。

とくに「貧困の可視化」は、世帯収入で貧困率が発表されることから個人の貧困が世帯に隠れてしまい貧困であることが世に出るケースはいたって少ない。
非正規雇用か無職で年収が200万円未満のひとなどが、家族と同居している場合、貧困の実態が家族全体の収入に隠され、可視化されない現状となっている。
とくに女性の場合、非正規雇用率が2012年では42%(男性28%)に達しており、賃金格差も男性年収222万円に対して、女性148万円と6割程度にとどまっている。こうした生活困窮者の多くは、1972年以降に生まれた就職氷河期世代の女性達と言われており、その半数近くの女性は、親とともに実家暮らししているケースが際立っていると分析されている。
税や社会保障といった施策を世帯単位で捉えるのではなく、個人単位に変えることによって、“貧困の可視化”がより一層わかりやすくわたしたちの前に明らかにされることだろう。

ついで「人権の可視化」だ。
差別される対象にあるひとたちが泣き寝入りするのではなく、異議申し立てする勇気と決意について、背中を一押ししてあげる環境と工夫づくりが急務だと思う。
「生活困窮者自立支援法」からはじまり、「障害者差別解消法」「ヘイトスピーチ解消法」、また、「部落差別解消推進法」の制定、さらには、LGBT対策法案の検討、アイヌ民族に対する新たな法案の検討も進められている。しかもどれもが理念法、宣言法だ。これでは、当事者としての差別からの救済や差別を受けた精神的苦痛を“世に問う”という方法を後押ししてくれる法律とは言い難い。それなら人権を可視化するためにも差別を受けた被害者救済に道を拓くという意味からも、ヘイト救済のための基金の創設などが検討されてしかるべきだと主張したい。

大阪では、人種差別撤廃条約で指摘されている人権侵害を対象に、被害者への訴訟支援を行うことを目的に「人種差別撤廃サポート基金(仮称)」の設立が準備されている。人権侵害を受けた被害者への救済は、国や地方自治体がとりくむべき課題ではあるが、それが法的に省かれている以上、民間による基金を創設して応援しようという仕組みづくりである。
法律が存在するという啓発効果を最大限に活用し、法に矛盾や課題があるならば、それをわたしたちの側からつくりあげていくという市民運動が、きわめて重要なとりくみであることを強調したい。

大阪市が、昨年大阪市立の小学校5年生の全児童とその保護者、中学校2年生の全生徒とその保護者を対象に、「子どもの生活に関する実態調査」を実施した。
その単純集計結果において、小学5年生で「性別」について「答えたくない」と回答した生徒が201人、中学2年生で197人いる。全体では、「その他」が0.2%、「答えたくない」が1.4%、「空白」が2.0%という結果がでており、合計3.6%の子どもたちが、性別について答えていないとする結果が紹介されている。
性的少数者問題の深刻さが、数字からも見てとれる実態であり、LGBT対策法案の制定が急がれるのも言うまでもない。性的少数者差別による深刻ないじめなども急増していることなどを考慮しても被害者救済に道を拓く基金の創設など、“差別への怒りの声”を勇気を持って告発できるよう後押ししていくとりくみを開始したい。
あいつぐ人権に関する法制度を意義あるものとするための市民活動こそ、いまとりくまなければならないわたしたちの課題のようだ。