部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
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コラム | 2017年3月29日
国会では、大阪豊中市の「森友学園問題」が連日とりあげられ、マスコミも含め注目されているのはご存じであろう。しかし、その裏で、安倍政権が今国会での成立を目論んでいる、組織的犯罪処罰法の改正案、いわゆる「共謀罪」がある。
官邸サイドはその必要性を強く訴え続けているが、過去3度も廃案となった「共謀罪」を少しオブラートに包んだだけのものに衣替えし再提案している。その条文から読み取れる危険性を指摘する声が日増しに高まりをみせてきている。
「東京オリンピック・パラリンピックをひかえてテロ対策が必要であり、国際組織犯罪防止条約を締結するため国内の法整備が不可欠である」と安倍政権は説明している。国民が「もっともだ」と納得しそうな理屈をつけて、安倍政権は危険きわまりない法案を国会に提出しようとしているのである。
中身については、以下の通りである。
閣議決定された政府案は、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」が「当該行為」を「二人以上で計画」し、それを「実行するための準備行為が行われた」時は「刑に処する」という、共謀し準備行動に入った段階で、捕まえるという趣旨となっている。
さらに、その対象となる罪の種類は、当初676件もあったのが277件まで減少させてはいるものの、強姦、強制わいせつ、収賄、児童福祉法、児童買春・児童ポルノ禁止法、売春防止法、競馬法、所得税法、出資法、特許法、著作権法、会社法などなど、およそテロ集団とは無関係の項目が山積みされている。
これは、元々の「組織的犯罪処罰法」で、広域暴力団の取り締まりをさらに強化させることを目的に、さらには、「予備」段階や複数の人間で「共謀した」段階で即座に逮捕できるようにするという悪法だ。政府は「一般の人は対象にならない」と強調するが、こうした法律は時として拡大解釈され、適用範囲が曖昧なまま時の政権による恣意的な解釈がまかり通ってきたという歴史に学ぶべきである。
政府は、国際組織犯罪防止条約を締結するにはこの法律が必要で、この法律がないと東京でのオリンピック・パラリンピックを迎えることができないとうそぶいているが、五輪を看板にすれば何でも通るだろうという「五輪便乗」の国権主義の押しつけそのものだと言わざるを得ない。
しかもこの法案が、必ずしもテロ防止を目的としていないことは、当初、その発表された条文に、「テロ」の文言が抜け落ちていたことを見れば明々白々である。野党議員たちが騒ぎ出したため、つい最近になって、「テロリズム集団」という言葉を法案に加えているという実態だ。
とくに話し合っただけで処罰されるというのは、犯罪実行後の「既遂」を原則としてきた日本の刑法体系を根本から覆すこととなるばかりか、思想及び良心の自由を保障した憲法にも反することとなる。個人の内心にまで踏み込むという事態は、自由と民主主義を根底から否定しかねないという大問題でもある。
政府は「一般市民が対象となることはない」と繰り返し説明する。しかし組織的犯罪集団の概念はあいまいで、「正当な活動をする団体でも目的が一変すれば処罰の対象となる」との見解を示している。一変したかどうかを見極める捜査機関の恣意的な運用への懸念は消えない。国家が国民の心の中に踏み込みつねに「監視」の対象としてさらされる事態は、民主社会とはほど遠いと言わざるを得ない。
オリンピック・パラリンピックのために法体系が存在しているのではない。法体系を前提にした各種イベントを企画すれば良いだけであり、五輪の祭典のために法律を新たに施行させるというのは、そもそも本末転倒だ。決して「共謀罪」を成立させてはならない。