部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2017年10月4日
枝野幸男氏が代表となって、「立憲民主党」が旗揚げされた。
「希望の党」から排除された反差別・人権理念を持つ革新的な候補者たちで「立憲民主党」を立ち上げ来るべき総選挙を闘う体制が確立された。
解放同盟の運動の理念からして、すっきりと選挙戦に突入できると安堵されているひとも少なくないだろう。
しかしあえて「ちょっと待って」と言いたい。
そもそも今回の解散には大義がない。
安倍晋三首相の本心は、モリ・カケ隠しに徹したいの一念。6月18日の通常国会閉幕から10月末まで4ヶ月以上も国会空白をつくったあげく、「少子高齢化と緊迫する北朝鮮情勢がまさに国難」だとうそぶき、「国難突破解散」という訳のわからない解散に打って出るという暴挙に出ているのである。
この安倍首相の行為は、有権者もお見通し。どの調査でも、軒並み今回の解散に対して「納得しない」人が7割以上に達している。
前回の水平時評「Vol.117 緩やかな合意をもとに反自民の一本化を」でも「大義」が存在しないどころか、
国会での森友・加計学園問題の疑惑追及を回避し、野党側の選挙準備の遅れをほくそ笑みながら、国民の自民VS非自民という政治選択の機会を奪い、それによって、北朝鮮情勢緊迫化の下での政治的空白を生じさせるなど、まさに大義なきというよりは、「不義のかたまり」というべき解散である。
と指摘したところである。
つまり、今回の解散総選挙の最大の争点は、身勝手極まりない安倍内閣を退陣に追い込むことが出来るかどうかと言う一点であり、民進党の前原代表の「我々は、どんな手段を使っても安倍政権を倒します。身勝手な安倍政権を退場に追い込みたい」とする発言は的を射ており、そのためには手段を選ばないとした前原民進党代表の政治手法は一定評価されるべきものであると強調したい。
しかし、党を解体してまで合流を求めた相手が悪すぎたのか。党丸ごと「希望の党」にと画策した前原氏に対して、「全員を受け入れる考えはさらさらない」と一蹴した小池氏。“排除の論理”が登場するやデスノート(排除リスト)が出回ったり、挙げ句の果てには協定書なる踏み絵まであらわれ、しかも外国人への地方参政権付与に反対すべきとまで持ち出す始末である。
民進党という野党第一党のプライドまで投げ捨て、小池百合子氏の「希望の党」に合流し、安倍打倒の一点で、今回の解散総選挙を闘うとした覚悟が、“排除の論理”によって、民進党の分裂という悲劇を生んだことは返す返す残念至極である。
産みの苦しみから生まれた「立憲民主党」。ここはすっきり反自民・安倍内閣打倒という一点で、闘い抜くことを期待したい。しかし、小選挙区比例代表制という選挙システムのもとでは、少数野党に甘んじていては社会を変える政治にはまったくと言っていいほどコミットできない。
枝野さんが結党会見で言った「私たちは草の根に立つ」を肝に銘じ、単純に左にシフトすることのない党の運営をしてもらいたいと思っている。
辻元清美氏は、立憲民主党で立候補すると決めた記者会見において、「選挙の結果どうなるかわかりませんが、大政翼賛会ができるようでは、結果として寛容な保守とは相反することになる。是非その辺は連携できるところはもちろん連携すれば良いし、そして違うところは主張しながら、女性政治家同士として、切磋琢磨していけばいい」と発言している。
その通りで、権力の中枢から外れた烏合の衆に埋没すべきではない。当面の目標を、安倍一強政治を終わらせることに主眼を置くことが大事で、“決して敵を見誤らない”ことを強く訴えておきたい。
部落解放運動も同じで、左、左に傾斜し、大衆運動を忘れた活動に依拠してはならない。地域における市民運動は、多様な人たちを包含する寛容な優しさを持つ運動でなければならない。対立や排除で地域の自治が成り立つわけでは決してないはずだ。立憲民主党が小さくてもキラリと光る政党としてこの選挙での奮闘することを期待し、やっぱり安倍政権にNOを突きつける選挙にしたいものだ。