部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2018年7月26日
「『弱者らしく』していれば守られるべき存在として扱うが、物言うマイノリティが現れた途端に『保護されすぎている』とたたくのが今の社会。大きな危機感を抱かざるを得ない」とコメントするのは、ジャーナリストの安田浩一さんだ。
このコメントは、自民党・杉田水脈(すぎたみお)衆議院議員(比例中国ブロック)が月刊誌で同性カップルに対して「彼ら彼女らは子どもを作らない。つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」との差別表現の寄稿に対して危機感を募らせたコメントである。
差別を受けているマイノリティ側は、常に弱い存在として位置付いていなければならないという考え方が根底にあり、権利を主張するマイノリティに対しては、排除と抑圧を加え、世の流れに逆らうことなく、黙っておとなしく施しを受ける側として生活しておれば良いとする考え方である。
「不良な子孫の出生を防止」などを目的に、1948年に「優生保護法」が施行された。遺伝性の疾患や精神障害、知的障害などと診断され、都道府県の審査会で「適当」とされた場合、本人の同意がなくても不妊手術ができた。96年に母体保護法に改正されるまで、全国で多くの男女が不妊手術を強いられた差別的な法律である。それが、ほんの22年前まで存在していたのである。
「優生保護法」とは、なんとも差別的できわめて不愉快な法律名だ。逆に言えば、「劣性を排除する」ということでもあり、杉田議員の言葉を借りれば、「生産性」がないマイノリティは、劣性側であり、排除されるべき立場に追いやられる。人間は等しく平等であるという憲法の理念は吹っ飛び、「優性」は保護されるべき対象となり、「劣性」は排除される対象であるとの立場になる。
かつての被差別部落は差別と貧乏が覆い尽くし、生産関係からは除外され、自己が意識するとしないとにかかわらず、客観的には空気を吸うように社会意識としての差別が存在することによって、劣悪な生活を余儀なくされ、底辺の生活実態に追いやられていた。
「弱者らしい」マイノリティだったということかもしれない。それが、1965年の同対審「答申」以降、その4年後の特別措置法の施行から“物言うマイノリティ”にかわったことによって、「弱者らしい」解放同盟が、「強面(こわおもて)の解放同盟」に変わっていったことは歴史が証明する事実でもある。一部に利権と腐敗を生み出し、不祥事が起こり、行政依存の組織の体質が露呈するにまで至ったことは痛恨の極みといえる負の歴史もある。
しかし、“物言うマイノリティ”へのバッシングは、想像以上に強く、とくに部落解放運動が大きく高揚したここ大阪の地における同和攻撃は、容赦ないものとなった。大阪市内の隣保館をはじめとする地区内施設の廃館問題や研究所や人権協会に対する行政予算の打ち切り、同和行政、同和教育と言った文言の否定など、「『弱者らしく』していればそれなりに守ってやったのに、最近のマイノリティは、少し頭をもたげすぎて交渉や糾弾だと『強者ぶり』が目に余る」といった感覚で、部落解放運動に襲いかかってきている。
だが、物言うマイノリティが現れた歴史は、1960年から数えても約50年程度である。それに対して封建的な身分制度がつくりあげられてきた歴史は400年を数える。差別され抑圧され続け生活をしていた期間から考えれば、物言うマイノリティの歴史は、きわめて短くわずかばかりの時期なのだ。それをもう一度、弱者らしく、声を小さく、権力に逆らうことなく、低姿勢を続けていれば、社会から保護される存在として認めてあげてもいいから、注意しなさいと言われてるように思えてならないのである。
杉田議員の文章は明白な差別寄稿である。許してはならない優生思想である。すべてのひとは生きている事自体に価値があり、市民を生産性の有無で分別すること事態、問題であることは言うまでもない。
しかし、この「生産性」こそ、わたしたちの側からつくりあげなければならないとも思っている。多様性や多文化共生を尊重する社会はじつは生産性がアップする社会なんだということを立証する責任をわたしたちも担うという覚悟が必要ではないだろうか。
「一支部一社会的起業」というスローガンは、自分たちで地域を経営していこうという覚悟の現れであり、それこそ生産性を高められる地域経営という発想そのものだ。エコー共済によるポイント制の導入やひとり暮らしでこの世を去って逝く最後に、「このまちで最後を迎えられて良かった」を思える地域にしたいと思う。そのためにも被差別部落という資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるか勝負である。