部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
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コラム | 2018年8月8日
全国最年少の30歳1ヵ月で最年少市長に就任し、話題を呼んだ北海道夕張市長の鈴木直道さんが当選から7年を迎えてこれまでのとりくみを振り返ったインタビューが雑誌に掲載されていた。
市長として日本一の薄給として話題を呼んだ鈴木市長だが、そこに至る経緯が綴られていた。
「夕張の特徴は、急激な人口増のあとに急激な人口減を経験したことです。炭鉱開発が進んで人口が増えるときの勢いはすごかった。ある地域などは地区人口が5万人を超えて、ひとつの市として独立しようという運動があったぐらいです。自分たちの街に病院を、学校を、公共施設をということで各地につくっていった。そこに炭鉱閉山の波がきて、今度は人口が急減していった。1960年ごろ11万6000人だった人口が、私が市長になった2011年には1万人ちょっと。〜 中略 〜 みなさんが『市の施設って何』と考えて羅列できるもの、その大半が夕張から消えた。窮地に立たされ、行政サービスを一度まっさらにした夕張だが、そこから見えてきたこともある。」と当時を振り返る。
財政破綻時、市民の多くが心配したのは市の医療が崩壊するかどうかだったと市長は言う。病床数は171から19まで減らされ、市からは総合病院が消えたそうである。医師の数も半数以下に減らされ、病院の建物は、小さな診療所と介護施設に転用された。この緊急事態ともいえる状況下で、変化が起こったそうである。日本人の死因2位の心疾患と3位肺炎の死亡率が、夕張では破綻前よりも後のほうが低くなり、救急車の出動回数も破綻前を下回り、市の高齢者ひとりあたりの医療費も下がったというのである。
総合病院がなくなったことで、市民と地域の町医者との距離が近くなり患者の異変が早期に発見されやすくなったことや、そもそも病院を頼りにできないという意識から大病にならないよう健康に気をつける人が増えたことなどにより、「予防医療」という考え方が発展したのだと鈴木市長は力説する。「結局、予防に勝る医療はない」と人口減少していく日本の医療の将来に対して警鐘を鳴らしている。
夕張のまちづくりは都市機能を集約する「コンパクトシティ」構想として進められている。鈴木市長就任時公営住宅は3709戸、市の全世帯数約5486に対して膨大な公営住宅が存在していることになる。広く分散して建設されている公営住宅を夕張市の中心部、いわば市役所付近の一カ所に集めることで市民は暮らしやすくなり、市は維持管理費を削減できるという提案であり、これを20年計画で実施しようという政策だ。
また、新しい公営住宅には子育て世代の入居も進め、高齢者と子どもたちがともに暮らす地域社会をめざしている。4年で207世帯が引っ越し、人口減少時代のモデルとして全国の自治体の注目を集めている。最後に鈴木市長は、「人口を増やし、企業を誘致するのが市長の仕事だろうと言う人がいるが、そういう時代ではない。たしかに『市長になったら人口を増やします』と言えば当選はしやすいだろう。でも人口は減る。そのときに備え、どう行政サービスを安定的に提供し、どう生活の質と利便性を確保して、どう幸福度を高めていくのか。これを放棄することは市長として無責任だ」と締めくくっている。
「自分たちの街に病院を、学校を、公共施設をということで各地につくっていった。そこに炭鉱閉山の波がきて、今度は人口が急減していった。」という現実は、わたしたちのまち、被差別部落も同様の傾向にあるのではないだろうか。解放会館が建ち、青少年会館、老人センター、多くの公営住宅、そのどれもが人口増の高度経済成長下の出来事であり、そのどれもが特別対策時代のまちづくりであった。
破綻したから見直すという夕張市の現状と破綻直前の被差別部落という構図にそんなに変わりはなく、このまま放置すれば、夕張市の「限界自治体」と同様、「限界部落」に変貌していくだけである。こうした被差別部落の危機に手をこまねいていてはなにも前進するはずがない。
この危機的状況を隠すことなく、オープンにし住民と共有することが第一歩だ。住民に危機を感じさせないのが支部幹部や活動家のすることではない。もう高度経済成長の時代に舞い戻るわけでもなく、特別措置法時代もやってこない。しっかりとしたコスト感覚を持って持続可能なまちにしていくという構想を創りあげる必要性が高まってきている。被差別部落を自分たちで経営していくという視点がますます重要性を持ってきていると認識すべきである。
首長との関係がきわめてスムーズであり、それなりに聞く耳を持ってもらっている支部も存在する。首長と政治姿勢が対立し、遅々として行政施策が進まない支部もある。首長と支部との関係は友好ではあるが、財政的に危機に瀕している自治体も存在する。まさに多様化しており、一様に同じような施策で発展するという時代ではない。ただ、わたしたちは崖っぷちで踏ん張って部落解放運動に取り組んでいるという立ち位置はともに共有しようではないか。