部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2019年2月26日
「お前の父ちゃん憲法違反!」といじめられた子どもがいるらしい。「自衛隊員が『お父さん憲法違反なの?』と息子に尋ねられ、そのとき息子は目に涙を浮かべていた」と安倍首相が国会で答弁している。
ついで安倍首相は「憲法を改正して自衛隊を憲法に明文化」することによって、いじめが起こらないようになるのだ・・・という説明を国会で何度となくしているのである。現実にこんなことが学校で起こっているのであろうか?
仮にこれが事実だとすれば、本来、学校でとりくまねばならないのは、親が自衛隊に従事していることで起こっている“いじめ”の問題である。それこそ職業選択の自由であり、職業によって差別してはならないことを学ぶ機会と捉えて教育するのが本筋であるはずだ。
憲法に明記されていない職業だからいじめが学校で起こる。だから憲法を改正しようとは、本末転倒も甚だしい。これを最高責任者である総理が口にしているのだからあきれるばかりである。
どのような仕事も社会に必要とされているものである。働くこと、職務をまっとうすること、労働をしてその対価として稼ぐことは等しく貴い。ひとを仕事の内容によって差別すべきではないことは言うまでもない常識だ。
しかし、現実には、食肉処理、葬儀、皮革加工や汚物処理など「不浄」とされてきた職業に多くの人たちが従事するわたしたちのような被差別部落の人々は、長年、日本社会の隅へ追いやられ、常に差別の対象としてさらされてきた。
差別や偏見は今も引き継がれ、「職業に貴賎なし」とは建前であり、あからさまな職業差別がいまもなお深刻に特定の職業や従事者に対しておこなわれ、根強い嫌悪感や忌避感が抱かれていることも多い。
こうした職業差別の実態を横に置いて「自衛隊員が憲法違反だと子どもたちがいじめの対象になっている」との主張は、いまもなお深刻な職業差別の現実を軽視するものである。なり振り構わず憲法に自衛隊を明記したいがために“いじめ”を利用するという、きわめて身勝手で許しがたい発言であることを強調したい。
憲法に自衛隊が明記されていないから、社会から認知されていない職業であるかの決めつけは、きわめて職業差別を助長する偏見であることもつけ加えておきたい。
いじめと差別を悪用し、自衛隊という任務にお墨付きを与えるために憲法を変えたいという本音がそこに垣間見られるのである。
ある大学での清掃労働体験を呼びかけるアンケートで、「すばらしい仕事だと思うが自分がしようとは思わない」という回答結果が紹介されていた。続いて「くさい」だとか、「近寄らないでほしい」と言われたりするという清掃労働に従事するひとたちの体験談に対しては、「差別に負けないでがんばってほしいと思います」であり、「そういう言葉にめげずにがんばってください」との感想が記載されていた。
特定の職業や特定の立場の人々に対する蔑視の視線に対して、「がんばり」や「誇り」を求めることが正解だとは思わない。「励まし」ではなく、その仕事が社会に必要とされているということを「承認」してもらうということではないだろうか。
ここで言う「承認」とは、他者に強制することではなく、また、それは一方通行の「承認」でもないだろう。つまりは、ひとりの人間としての尊厳を認めあうということだ。
安倍さん・・・憲法を変えることを最優先するよりは、相互に相手を理解する“相互承認”という働き方改革を優先すべき時ではないだろうか。