部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2019年3月12日
「大阪都構想がつぶされかけている」。
公明党との交渉決裂の果てに大阪府知事と大阪市長の職を辞し、それぞれの立場を入れ替えてダブル選に挑むことが松井大阪府知事、吉村大阪市長それぞれから表明された。
少し冷静に振り返ってみよう。そもそも2015年5月17日に法的拘束力のある住民投票が実施され、否決されたという大前提があると言うことを確認しておく必要がある。大阪市民が“賛成か”、“反対か”と分断され、市民の中に対立を持ち込んだ住民投票が、いとも簡単にふたたびという選択をしかも4年しか経過していないにもかかわらず実施しても良いのかという疑問である。
主権者たる有権者の直接民主主義による判断をあまりにも軽んじてはいないかという点をあらためて確認しておくことが必要である。つまりは、法的拘束力のある住民投票の決定という重みについてマスコミを含めて、知事と大阪市長が維新のメンバーになったのだからと言って、再度住民投票に踏み込むことを有権者が選択したのだというのは、あまりにも乱暴な議論であると言わざるを得ない。
しかもだ。わずか住民投票から2年足らずののちに新たな法定協議会が設置されたことも驚きだが、さらには、水面下の政党間で“合意書”なるものが交わされ約束されていたというのだから開いた口がふさがらない。ここに「大義なき」「有権者不在」「私物化」と言われても仕方がない府民、市民を愚弄する行為だと断じたい。
松井氏は、「公明にだまされたままひよってしまうと、僕の人生、将来必ず後悔する」。吉村氏も「だまされたままではおわれない。政治家をやる以上、自分に対して正直に行こうと思う」と訴えている。申し訳ないが、このことは、公明さんとの関係で生じた問題ではないのか・・・それを気に入らないから知事と大阪市長を辞職して、入れ替えて選挙をするというダブル選の意味に納得できない方々も多いだろう。
「選挙の私物化」と言われても仕方ないことであり、気に入らないのであれば、公明が獲得している衆議院選挙区に維新の候補を擁立し、闘いを挑むというのであればまだしも、知事と大阪市長選挙に打って出るという、自治体行政を預かる首長として、いささか無責任過ぎるのではないか。
維新は都構想が行き詰まると選挙を繰り返してきた。自己の目的のためには職務を放り投げるのが首長の姿勢なのか。首長と議会の調整によって成り立つ地方自治の本旨をゆがめる行為であり、断じて納得のいくものではない。
大阪府や大阪市という統治機構のありようについて、このまま継承することがベターかどうかは今後の議論である。母都市としての機能や総合区など検討する内容は多岐にわたっている。
住民投票という手法でもって激突型を選択するようなものではなく、冷静な判断による十分なる検討が求められてしかりである。公明党さんが言うように「慎重かつ丁寧な議論」を積み上げてこそ、住民自治の形も模索され、成熟した議論に発展させていくというものではないだろうか。
それをシロか、クロかという短絡的な劇場型政治という政局に持ち込もうとする維新政治は、あまりにも乱暴であり、党利党略が過ぎるのではないだろうか。
橋下政治登場以降のこうした対立を煽り、過半数を超えればそれが正しい選択かのような二者択一政治にこの辺でピリオドを打とうではないか。
大阪における維新政治のこの十年は、連合をはじめ公明党や自民党、さらには学者や文化人などと、今後の大阪のありようについて、丁寧に冷静に議論を積み上げてきたところであり、その努力によって多くの共感者や友人を得てきたところでもある。
こうした財産を活用し、党派を超えて大阪のため、地域のために落ち着いた議論と検討を進めるきっかけを4月7日の大阪府知事選挙、大阪市長選挙で結果を出そうではないか。もうそろそろ対立型の府政、大阪市政に終止符を打とう。きちんと新たな構想を描くことができる冷静な政治状況をつくりあげるチャンスが到来したのである。
維新政治という一種ドラスティックな政治をいったん棚上げさせ、民主的な議論を構築できる政治土壌の実現に向け、統一自治選挙と府知事選挙、大阪市長選挙への奮闘を呼びかけるものである。
組織内候補にさらなる支援を!