部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
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「大阪において知事・市長というのはツートップなんです。これ両方ともすごい権力者なんです。われわれはこれを1人でいいと思ってるんです。我々はこの権力をしがみつかない」。
3月18日朝日放送のキャストという番組で松井大阪市長候補が発言した言葉である。
大阪府知事選、大阪市長選に立候補予定の小西氏、柳本氏、松井氏、吉村氏と4人が出演した。松井氏のこの発言に対して、穏やかな表情から眼光鋭い表情に変わった小西氏が、こう切り替えした。 「知事とか市長を権力の座とおっしゃるのは 非常に重大な発言ですよ。住民の代表なんですよ」
この一連のやりとりを見て、なぜかスーと腑に落ちた。
松井氏の言葉通り、大阪維新の面々は、知事や大阪市長は絶大な権力者だという認識を持っており、その絶大な権力者を持ってしても決めることのできなかった法定協議会の反対という決定に対して、辞して民意を問うという手法に出たということ。つまりは、つぎに知事や市長という権力者になったあかつきには独裁的な権力者として君臨するんだという、それこそ決意を表明したのだと受け取った。
その言葉に対して、穏やかな表情から一変した小西氏は、「あくまで知事や大阪市長は住民の代表なんだ」と何回にもわたって松井氏に詰め寄っている。
この違いこそが、今回の知事選、市長選のダブル選の争点だ。
日本の自治制度は「二元代表制」を採用している。つまり、都道府県、市区町村を問わず、首長と議員をともに有権者の直接選挙という民主主義で選出し、自治体の政治機関の役割を担うという仕組みを採用している。これは国会議員だけを直接選挙で選び、国会が内閣総理大臣を指名し、内閣総理大臣が執行機関としての内閣を組織するという、国が採用する「一元代表制」とは根本的に異なっているのだ。
だからこそ首長は議会との協力関係を保ち、つねに連携を心がけるべき性格を有するのである。それを過度な対立を煽り、賛成か、反対かを常にテーブルの真ん中に持ち出し、反対するものは排除するという自治運営そのものが、二元代表制にふさわしくない性格のものなのだ。
それを松井氏は、もっとすごい権力者として君臨してみせると打って出たのがダブル選だ。
全国的に首長選挙の場合、党に属することなく無所属で立候補するケースが多い。それこそが「二元代表制」という地方自治をスムーズに運営するために生まれてきた知恵と工夫の一つだからだ。一方的なひとつの党の主張に振り回されることのないようバランスを重んじるからこそ無所属で立候補し、「党派を超えて多くの方々からの信任を受ける」のである。だからこそ首長と議会との協力関係が常に保たれ、府政や市政が安定的に運営されるのである。
小西氏の言う「あくまで知事や大阪市長は住民の代表なんだ」という反論こそ、二元代表制を採用している自治体行政の本旨であり、ひとつの党というセクト主義に陥ることなく、「住民の代表としての知事」、「多くの有権者から選出された市長」という本来のあるべき首長の姿がそこに映し出されるのである。
自分たちの意見が通らないからと言って、府民、市民という主権者たる有権者の直接民主主義により信託を受けた知事、大阪市長という公職を任期途中で放棄するという、まさに、あってはならない暴挙であり、維新政治という党利党略だけが全面的に先行するきわめて許しがたい行為であることを再度訴えるものである。
今回の松井・吉村両氏による任期途中での投げ出しダブル選は、「権力者を選ぶ」選挙なのか、「わたしたちの代表を選ぶ」選挙なのか、ここに今回のダブル選の有権者の選択が問われているのである。地方自治を司る首長には、独裁を含むような権力者をめざすような人物を選ぶわけにはいかないのだ。
わたしたちの代表を選ぼうと声高に叫ぶ、小西ただかずさんを大阪府知事に、柳本あきらさんを大阪市長に組織をあげて応援・支援していかなければならない。
知事・大阪市長選挙は決して権力者を選択する選挙であってはならない。そんな独裁者を選出すれば、大阪はそれこそ破滅の道を選択することになるだろう。あくまで地方自治の本旨は、「二元代表制」なのだ。首長と議会の信頼関係こそ府政・市政の安定した運営が期待できるのである。
9名の組織内候補の勝利と小西知事、柳本大阪市長を誕生させようではないか。