部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2019年12月6日
安倍改造内閣が発足してから1ヶ月あまりで、菅原一秀経産相、河井克行法相が公職選挙法違反疑惑であいつぐ辞任。続いて、大学入試新共通テストへの民間英語試験導入にからみ、萩生田光一文科相の「身の丈」にあって試験を受ければよいという“失言”が世論の憤激を買い、民間英語試験の導入が土壇場で延期。そして、首相主催の「桜を見る会」をめぐる騒動と矢継ぎ早に問題が噴出している。
「桜を見る会」では、年々増え続けた支出が、事実上の公金による支援者への利益供与ではないかという疑惑。さらには、安倍晋三後援会が主催した「前夜祭」が政治資金規正法に違反するのではないかという疑念と続く。また、招待者名簿の廃棄が意図的ではないかという疑問など、さまざまなニュースが日々噴き出した。これに対し、首相・政権の側からは、説得力のある反論はなされていないのが現状だ。
また、安倍首相や官僚から繰り返される「ごまかし」や「すっとぼけた」答弁と度を超えた「虚偽説明」を聞いていると、政治家や優秀とされていた官僚は、嘘つきであり、平気で虚偽の答弁を繰り返すという子どもでもわかるような政治への不信が、怒りを超えて、もはや諦めの境地に達しているという情けないばかりの政治状況である。
この“すっとぼけた”答弁の極みが、参議院本会議での安倍首相の名簿のシュレッダー処理について「担当は障がい者雇用の職員」であったとする最高責任者としては、許しがたい人権侵害の発言ではないだろうか。
障がい者自身も、障がいをオープンにして就労を希望している場合は、自分の障がいを理解してもらうことで安心して働けると思うひともいるだろう。また、その方が安定雇用につながる可能性が高まることになる。
しかし、一方では、不利な扱いを受けるのではないかと不安に思い、障がいを開示することに抵抗を感じる障がい者の方もいるだろう。つまりは、障がいの開示については、本人の意思や気持ちを確認しておくことが第一義であることは言うまでもない。
こうした配慮も一切無く、国会議員から開示請求された日付に合わせるための隠蔽工作に障がい者雇用を持ち出し、「短時間勤務だった」ため、その時にならざるを得なかったような言い訳、ウソは極めて理不尽であり、許しがたい差別意識のあらわれそのものである。
政治の劣化、モラルの低下などと言葉を並び立てればきりがない。しかし、どんな言葉も当てはまらないほどに政治不信は頂点を極め、歴代最長のトップがこれほどのレベルの国であって良いのかと思う、情けない2019年の締めくくりである。
競い合う相手は「敵」ではなく、正当な存在であると認める「相互的寛容」という考え方と、論争や敵対する相手に対しても節度をわきまえる「自制心」。民主主義を深めていく社会のありようにはこの二つの考え方が求められていると思う。こうした考え方とは真逆に位置しているのが、現在の安倍政権であることは言うまでもないことだろう。
この「寛容」と「自制心」は、「民主主義を守る柔らかいガードレール」だと表現されている。
安倍政権は、脇見運転どころか、あおり運転を繰り返し、平気でガードレールを突き破り、注意すれば、ひらきなおって暴力で襲いかかってくる恐怖政治を繰り返している。だからこそ官僚は国民側を見ようとせず、安倍ファミリーに対する忖度に終始する。
この世に生を受けた者、すべての命に意味があり、意味のない命など存在しないのである。
生産性を判断基準に、命の価値に差をつけてはならないことは当然であり、主要な生産関係から除外され社会的に排除されるような差別社会に終止符を打ち、人に優劣をつけるような格差社会の転換を求めて政治や社会運動に、とりくんでいくことが今ほど求められる時期はない。それほどまでに、危うい政治が継続されている。思想的対立や考え方の相違といったレベルどころではなく、隠蔽・虚偽・消去の繰り返しで、政治そのものの基本が葬り去られようとしている。安倍政権へのレッドカードは待ったなしだ。