Vol.171 マイノリティを自然と包摂する若者たちに希望

「そもそも江戸時代に時の権力者が、ひとびとの不満を権力側に向けられることを恐れ、不満の目をそらすために、士農工商の下に『えた、ひにん』という身分をおいて、人の嫌がる仕事を押しつけたんやぁ」と、小学校や中学校の授業や解放子ども会で習った記憶のある人が多いのではないだろうか。
いまは、まったくそういうふうには習わないそうだ。「士農工商」ではなくて「武士と町人・百姓」と習うらしく、また、差別される身分については、上下関係で説明するのではなく、下に置くというよりは、むしろ除け者(よけもの)扱いされていた人たちという教え方をするらしい。

それは至極当然のことで、江戸時代の何年の何月何日からこの人たちのことを「えた」と呼びなさい。この人らは「ひにん」と呼ぶ差別的身分の人たちだ、と説明されたから部落差別がそこからスタートとするというのはきわめて不自然なことであり、不満のはけ口として時の権力が“おいた”とされる身分ではないということがわかるだろう。
つまりは、古代末期から中世において人びとのつきあいから排除され続け、それがいつしか死牛馬の処理などの特定の業種に限定されていくなど、社会や人びとの思想、経済など日本の歴史が積み重なっていく中で、スポンジに水がしみこむように、長い年月をかけてジワーッと染み込んでいくことによって、部落差別が固定化していくという歴史を辿って来たのだろう。
それが、江戸時代中期の1700年ごろから日本全体で強化されていくのだと説明しているのが、最近の部落問題学習だそうだ。だからこそ、1871年(明治4年)の「解放令」(最近は「賤民廃止令」とも呼ばれているらしい)が出されたにもかかわらず、スポンジに染み込んだ部落差別は解放に向かうどころか、被差別部落や部落出身者への社会的な排除は、とどまることなく現在もなお部落差別が根絶されることなく、続いている背景にあるのだと思う。

また、ひとびとの不満をそらすために権力側が被差別身分をつくったという説明の仕方を「政治起源説」だと学んだひとも多いだろう。時の権力の悪知恵が生んだ部落差別は、権力を打倒することでなし得ると短絡的に思った人も多いと思う。わたしもそのひとりである(笑)。
しかし、冷静に考えると、いきなり差別される身分をつくって、さあ明日から差別しましょうと言われても、それで差別がはじまっていくと考える人はいないだろう。もともと長い年月をかけて排除され続けるという歴史がなければ、私たちとは違う「えた、ひにん」の人たちとはならないわけで、じわじわと「差別される身分」を固定させていったと最近の授業で教えているとのことである。

こうした小学校や中学校の授業で習う部落問題から導かれるのは、古代末期から中世において現代まで、排除され続けた部落差別は、時の権力者が交代したり、経済政策が変わってもそう簡単に根絶できる“代物(しろもの)”ではないというやっかいな問題であるということだ。人びとの生き方に風習や慣習、しきたりといった生活をしていく上での一定のルールがそれぞれの人や家庭に染み込んでいる以上、ひとつひとつを丁寧に取り払い、排除ではなく、包摂のルールへと変更させることは、それこそ大変な大仕事であり、社会そのものを変えるほどの大変革運動でもある。しかも十年二十年というスパンではなく、100年単位で人びとの生活全般に染み込ましていくという途方もない大仕事であることを自覚しなければならない。水平社100年を迎えるまであと2年。この大事業に挑む同盟100年の決意みたいなものを内外に明らかにする必要性に迫られているのだと思う。

しかし、わたしはそう悲観する社会でもないと思っている。
今の若者はかなり身近に、外国にルーツのある友だちの存在や、中高生ぐらいになると、同性のカップルやトランスジェンダーの友だちが身近にいるって話しを娘たちから聞くことがある。当然、在日コリアンの友だちなどは多数にのぼっている。それこそジワーッと知らぬ間に排除するのではなく、自分の周りに社会的マイノリティの存在を無意識に受け入れている若者の存在が広がってきている現実があるからだ。部落差別は、決してアウティング(暴く・ばらす)させてはならないマイノリティ問題である。しかし、簡単にカミングアウト(自分で出自を言うこと)できるような社会でもない。若者の間に広がる社会的マイノリティの存在を受け入れる風土がさらに広がることで、「わたしは部落の出身です」という立場の表明を、スムーズに受け入れてもらえる社会の到来を期待したいし、努力したいものである。