部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2020年6月23日
何度延期してきただろうか・・・ようやく7月18日に第67回大阪府連大会の日程が定まった。しかし、残念ながら書面による大会であり、事務局はバタバタで書面大会の準備に悪戦苦闘といったところだ。大きな会場で密を避けて200人程度の規模での大会開催は出来ないものか。もう少し絞り込み各支部代表程度での大会とはならないものかなど、役員選挙をともなう大会だけに代議員に集まってもらう従来の大会を模索してきたが、コロナ禍による自粛ムードには逆らえず残念ながらの書面大会となった。
前代未聞の書面大会となったわけではあるが、大会方針はもとより、ポストコロナの時代における部落解放運動の役割など、今年度の方向は指し示したつもりであり、多くの代議員から建設的な意見をいただきたいと思っている。
4月に予定されていた府連大会と7月の書面による府連大会との大きな違いは、当然延期に次ぐ延期となった原因である新型コロナ感染の危機への対応という問題である。
アフターコロナやポストコロナなど、その後にやって来るのは如何なる社会なのか?
その社会の変化に部落解放運動はどの立場で運動を進めていくのかきわめて重要な時期での府連大会であることを訴えたい。
感染を広めないという観点に立てば、政治は強権的に市民の監視を強め個人情報を国の監視下におくという人権がそれこそ制限されていく社会の方向に舵を切り出すかもしれない。また、他の国との接触を避け、国境閉鎖を強め、一国主義が台頭してくるとも言われている。
パンデミックはグローバルに広がる一方で、国は閉鎖的な対応を強いられるという皮肉な方向に向くかもしれない。
ましてや特効薬やワクチンなどが開発された場合のぶんどり合戦は、新たな世界大戦を彷彿とさせるほどの“自国ファースト主義”が台頭する危険性さえ指摘されている。
いずれにせよ、各国が「自国ファースト」に執着していれば、全人類が奈落の底に落ちていく運命を甘受するしかないだろう。
グローバル化とインバウンドが進行する時代における部落解放運動は、コロナ禍によって大きく変貌を遂げることになる。万博誘致やカジノ構想といったインバウンドによる観光集客に依存した経済成長という大前提が崩れようとしている。ポストコロナの時代は、いのちを守るために不可欠なケア・サービスの脆弱さを克服し、医療・介護・保育・障がい者福祉など、第2波に備えるという派手さはないが、地道に行政基盤を強化するという方向でしか、いのちと生活は守れないという政治へ転換させるよう求めていかなければならない。
未知のウイルスという見えない敵のベールを剥がし、その恐れの源を拭い去るためには、過度な自己責任論という考え方を転換させ、互いに支え合う社会という包括的なネットワークの構築を地域からつくりあげる必要がある。その芽は大阪の各部落にこそ育ってきており、「『コロナウイルス』に負けるな!緊急特別支援金」を地域で活用した支え合いのネットワークの再構築を支部自慢・ムラ自慢で大いに競い合ってもらいたいと思っている。
また、コロナ禍によるダメージが深刻な中小・零細事業所への応援とそこで働く人たちに対する緊急支援等を目的とした「いのち・笑顔・応援プロジェクト」を立上げ、大阪市内に事務所を間借りし、緊急の相談体制を確保するという支援策を実施することとなった。
今回の休業要請や自粛によって社会的格差が浮き彫りとなり、ホテル、飲食関係、タクシー、観光業界などの事業主は悲鳴をあげており、廃業や閉鎖等に追い込まれるケースも少なくない。また、そこに勤める非正規雇用の労働者の首切りや雇い止めなど、深刻なケースが際立ってきている。学費を払えない学生の存在。仕事に行けないひとり親など、社会のセーフティネットが機能しているとは言いがたい現状を正確に把握し、政策化するという解放運動の役割が今こそ重要な時期であることを強調したい。
単に新たな感染症の蔓延という程度の社会の状態ではなく、自国だけ生き延びれば良いとする「自国ファースト」という内向きな政治と対峙し、社会の危機が生活の危機に直結するという脆弱な社会基盤に対して、地域から知恵を出し、社会運動や市民運動として政策を立案し、提案する側としての役割を果たしたいと思う。そんな議論を呼び起こす第67回府連大会となるよう期待したい。