部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2020年12月3日
いじめや差別の問題をテーマにしたナイキの新たな動画がネット上で大論争を巻き起こしている。公開から数日の間に、動画は900万回以上再生され、ほぼ同数の「好評価」と「悪評価」を集めているらしい。
「動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting (未来は待ってくれない)」というタイトルの広告で、人種や民族などで複数のルーツを持つ3人の若いサッカー選手が「実体験」を語っているものだ。
3人のサッカー少女がスポーツを通じて学校や社会でのいじめ(差別)、自分のアイデンティティについての悩みから前向きに生きていこうという様子が2分間の動画で表現されている。CM内では黒人ダブルの少女が大坂なおみ選手の動画を見る場面も登場する。
https://www.youtube.com/watch?v=G02u6sN_sRc&feature=emb_title
このCMに対して「いい内容だった」、「朝から泣かすなよ」、「次はナイキにしよう」と評価する声が挙がる一方で、「不愉快だ」、「日本人の多くが差別をしてるかのような印象操作」、「NIKE製品は2度と買わない」「日本を貶める(おとしめる)気か」との批判する声も挙がっている。「好評価」と「悪評価」がほぼ同数という状況だという。
アメリカの大統領選挙では、バイデン対トランプは僅差となり、大阪市の廃止・特別区設置をめぐる住民投票も反対が多数とはなったものの僅差の結果でもあった。「差別か」「差別でない」かの評価が拮抗となり、「自国ファーストか」「多様な社会か」の問いにはほぼ同数の僅差の争いになるという社会の状況にある。
わたしは、このCMを見て率直に感動したし、「NIKEやる〜」と思った。在日コリアンの何人かのメンバーは、「号泣した」「涙が勝手に流れてきた」との感想を寄せている。このCMを見て、すべての日本人が差別者のようなレッテル貼りだとの決めつけはいかがなものだと思うのだが、同数程度の反対意見があるという現実は、率直に言って、人権や反差別がズルズル後退していく社会が到来しているように思える不安感は拭えない。
ポイントは、この情報がフェイクがどうかが鍵を握っている点にある。つまりNIKEの動画の中身がフェイクかどうかがポイントとなる。答えは、REAL(実在する)だ。NIKEの動画で描かれたような差別やいじめは、「日本人」や「日本」だから実際に起きた行為と捉えるのではなく、どんな国や社会でも起きえてしまう可能性があるものだと理解するべきものであるのではないだろうか。だからこそ、広く共感を呼ぶこととなり、日本人だから差別するという狭い視野で捉える映像ではなく、俯瞰した目で、多様性の尊重として視聴すべきものだと思う。
現実に差別や人権侵害は日本社会に存在し、社会的マイノリティ−は制度上においても社会生活においても不平等と差別にさいなまれているという事実をREALに認めるという謙虚な姿勢をまずは何人も理解することから始めなければならないのではないかとつくづく思う。
NIKEの動画を見て、「そんな事実は僕の周りでは存在しない」「わたしの友だちにイジメなどする人はいない」と見る人がいるだろう。だから日本に存在しないとは飛躍し過ぎであり、法律が制定されるほどの差別や人権侵害がこの日本の地においてどこかで発生しているのであり、やはり現実を受け入れる寛容さが必要になってきている。
障がい者差別解消法やヘイトスピーチ解消法、部落差別解消推進法も現実に差別が存在しているという大前提が法的根拠となり、法律が成立しているという背景を学校教育や生涯教育、企業での人権研修、行政が呼びかける研修などによって、差別の現実を客観的に啓発するという作業が不可欠だ。
つまりスタート地点をその基準におかないと、「朝鮮人だっていじめる側の人間はいる」「白人を差別する黒人だっている」という声があがり、こうした不平等の問題を無視して「どっちもどっち」と並列させて捉えることとなり、問題の本質を見失うという結果につながっていく。当然、犯罪を犯す部落出身者や障がいを持ったひとを差別する在日コリアンの人もいるだろう。それはあくまで個人の問題であり、出自そのもので不当な扱いを受けることとは別次元の問題である。
NIKEの動画には、こんな言葉が出てくる。「いつか誰もが ありのままに生きられる 世界になるって」「そんなの待ってられないよ」で締めくくられている。そう、それは自分たちで一歩を生み出す勇気のことのようだ。“全集中の呼吸”をここに集めなければ!!!