Vol.200 東日本大震災から10年。この国のあり方は変わったのか?

もうすぐ3・11を迎える。言わずと知れた東日本大震災から10年の年だ。

あの大惨事から10年という大きな節目を迎えて、あの時、自分の生き方を変えこの国のあり方を根底から変えなくては未来は展望できないと思い詰めたはずだったのに、結局は、何も変革できずにいることに改めて落胆する。しかもコロナという新たなウイルスとの闘いは、私権が制限されるという緊急事態にまで深刻化しているにもかかわらず、有効な手立ては示されることなく政治主導もほど遠い現実という有様である。この日本丸という船は、右にも左にも舵を切ることができず、前進速度もどんどん落ちて、やがて海に沈んでいくしかないのだろうか。そう思うほどの閉塞感が広がって来ている。

当時、2011年の年は統一自治体選挙の年でもあった。書記長だったわたしは、選挙闘争の方針を3つ掲げている。ひとつは、第1のキーワードとして、生命や安全を今後も確保していくためには、できる限り「自給(必要な物を自らまかなうこと)」という社会にしていくことを掲げている。第2のキーワードは、「被災者が生きる希望を取り戻せるよう日本全体で支える」という意志を示すこととある。そして、第3のキーワードは、効率一辺倒の「なんでも民間へ」を見直すことだと提案している。

そもそも日本列島でこれからも生活を続ける限り、地震と共存する文化(全世界の2割もの地震が日本で起こっている)というものを確立しなければならないと訴え、徹底した効率化をめざすことや、集積、利便性の論理、東京一極集中、都市集中の論理、そういった考え方を見直し、保全とか小規模、多極分散、安全と落ち着いたまちづくり、地方自立、国土の自然力と農村漁村の回復、といったようなことをキーワードにした根本的な政治のありようを求めている。

「われながらなかなか良いとこついてるやん」と思いつつ、言うは易しで、結局はほとんど何もできないまま便利な裕福な社会に浸りきっている自分が情けなく、十年経って反省しなければならない事しきりである。

方針はこうも指摘している。食料も同じで、大規模流通機構に依存している限り安心はない。スーパーなどでの買い占めなどは、大阪などの都会ほどそのようなことが起きており、食という命の根源を他者に任せていることへの潜在意識的な不安から、あのような行動(買い占め)に走らせているのであろう。食糧自給率は大阪府で2%であり、ほとんどすべての食料を他県か他国の生産とそれを途切れることなく運び込んでくれる大規模流通に委ねている実態が、自給率を低迷させている大きな要因と言える。

お金さえ出せばエネルギーも食料も手に入って当たり前という常識から脱却し、安全安心な暮らしを実現するためにも“自給”と言う発想で、生活そのものの仕組みを転換させることである、とも指摘している。ここは、この課題解決のひとつとしてふーどばんくOSAKAを2013年にスタートさせ、食品ロスの削減や生活困窮者の生活支援の一助としての役割を担うにまで成長している。これは、及第点の評価をもらっても良いのではないかと自画自賛しておこう(笑)。

次いで、指摘されている点として、公務員に対する強い風当たりや、政治に対する不満のはけ口を既存政党にむける市民感覚や、公的機関に対するバッシングを煽るポピュリズムがはびこっている今こそ、未曾有の災害を前に、私たちは何のために税金を払い、政府は何をすべきか、考え直さなければならない。魅力的に見える指導者の出現を待ち望む市民の前には、魅力的に見せることの上手な指導者が現れる。魅力的に見せることだけが指導者を選ぶ基準になる。だから、テレビのバラエティ番組で訓練を受けた人物が圧倒的な人気を集める結果になる。大震災を経験した私たちだからこそ、改めて冷静な判断が求められている。今回の受難を、被災しなかった人々を含め、市民のすべてが自分のこととして受け止め、社会的連帯や相互扶助の精神を取り戻すことができるならば、災い転じて未来への足がかりとすることがきっとできるであろう、と締めくくっている。

10年が経過するが、この方向が今も色あせていないことに残念な面とたしかな運動の方向とが交差している。ホントに幾つかでしか成果を上げていない現実に落胆する。しかし、運動の方向が間違っていない事へは安堵する。大阪の各被差別部落を地域と捉えれば、地域連帯や相互扶助によって、社会を転換させるという運動の方向には間違いがなさそうだ。次には、隣保館などを“社会的共通資本”として捉え、新たな活動拠点のありようを模索していくコミュニズム−地域社会共同体としての地域からのボトムアップの運動形態をさらに深化させていくことに大震災10年を迎えての決意としたいところだ。