部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2021年8月12日
東京でのオリンピックが閉会した。
一方で、大阪を含め全国にコロナ感染が爆発的に拡大してきており、医療崩壊が起き出している。また、菅首相は、感染者数急増を踏まえ、中等症以上は原則入院としていたこれまでの対応を見直し、「重症患者や特に重症化リスクの高い者」以外の患者は「自宅療養」だと言い放った。中等症の方が突然自宅で亡くなるというケースも報道されるようになってきた。医療体制についても、「もはや災害時に近い」との見解が発表されるなど、最悪の事態へと突入している。
オリンピックもコロナ感染報道も両方とも日本で起きている現実なのか。
テレビをつけると、オリンピック中継が放映され、アナウンサーが日本選手のメダル獲得を絶叫的に伝えている。チャンネルを変えると、今度は深刻な声でコロナのニュースが読み上げられ「これまでの感染者最多を更新」とか、「医療現場は崩壊の危機」だと・・・いったいこれは同じ国の出来事なのか・・・何が現実で、何が非現実なのか、リアリティーって一体何なのか?
同じ日本で起きている出来事であることを理解することに時間がかかる。いや最後まで理解できないことなのかも知れない。
とにかくオリンピックは終わった。後には受け止められないほどの莫大な費用のツケが税金から支払われることになる。ここは逃げようのない現実のようだ。一方でコロナウイルスの猛威はとどまるところを知らない。先が見えない。政府はワクチン一本勝負で打って出たが、変異型という変化球には対応しきれないことが露呈されようとしている。台風による被害も豪雨災害もいままでの比ではない甚大な被害拡大となるなど、あまりにも重い現実が、次々に襲いかかって来ている。
確かわたしの記憶が正しければ、「人類がコロナウイルスに打ち勝った証として東京五輪を開催する」とマリオの衣装であらわれ世界的に訴えた“時の首相”が居たはずではあるが・・・残念ではあるが、完全な敗北だといわざるを得ない。しかし、日程的には、山積みする課題があるにも関わらず、衆議院総選挙が待ったなしでやって来る。
燃え盛るコロナ禍の中で、総選挙が実施されることとなる。「新たな日本型変異株」が誕生してもおかしくない事態が想定される中での選挙だ。「ワクチン接種」と「飲食業の休業」だけでは、この難題を乗り越えることは相当厳しく、コロナに敗北する菅政権という最悪の事態さえ想定される。
自民党というコップの中の権力争いとしての総裁選がスタートするやも知れない。トップの首を付け替えるだけのリーダー選びに埋没するやも知れない。また強固な与党を編成するために日本維新の会や国民民主党にも手を延ばし連立政権構想に出るやも知れない。
今後の政局を占う勝負時に野党第一党である立憲民主党の動きが注視されて然りである。しかし、立憲の支持率は低空飛行を続けており、自民党にとってかわる政権政党としての期待感はきわめて薄い。「コロナ禍対応内閣(仮称)」という2年ぐらいの時限設定で政権奪取をめざすという「野党連合政権」構想を打ち出し、“この指止まれ”ぐらいの明瞭な姿勢と求心力を発揮しなければ有権者の期待には応えられないのではないだろうか。
オリンピックでは日本選手のメダル獲得が過去最高を記録し、健闘が連日報道された。しかし、「コロナ禍に苦しむ日本の雰囲気も、オリンピックでの日本選手の活躍を見れば変わるはずだ」と踏んでいた菅首相の目論見はもろくも崩れることとなった。
コロナとオリンピックというダブルスタンダードという姿勢が政治への不信を強めることとなり、さらには、危機感への対応はきわめて後手後手に回るという結果、菅内閣への支持率は急落し、政治への期待感も薄れている。若者はまちへ飛び出し、コンビニ前では、ビール片手に酒盛りが繰り返されている現状だ。3回目、4回目という緊急事態にはなれ合いとなり、緊迫した医療現場がテレビに映し出されてもどこか他人事のように絵空事に捉えてしまう緊張事態などとはほど遠い現実である。
失望していては良き日は遠のくばかりだ。ポストコロナの時代への羅針盤を今こそ描くべき時である。