Vol.215 「デジタルネイティブ世代」に響く政治とは

 

いよいよ今月31日は、衆議院選挙の投票日だ。
各マスコミの世論調査結果などを見ると自民党が低調ながら現有議席を減らすものの単独過半数を何とか確保するとの見方を示しており、立憲民主党は微増、躍進は維新と共産かという情勢が報道されている。

選挙を横目で見ながら世界的には、いま「ジェネレーション・レフト」という言葉が注目を浴びている。世界の若者たちが、「左傾化」していると言うのである。コービンやサンダースらに対する熱狂的な若者の「左派ポピュリズム」の台頭や、グレタさんを中心とする地球温暖化危機の問題提起など、いま世界では若者たちによるラディカルな社会運動の輪が次々と広がっているというのである。

日本は、例外なのか・・・コロナ禍による格差の拡大や気候危機などへの対応を求め、社会運動を繰り広げる若い世代の台頭が、世界のうねりのように日本でも広がる可能性はあるのだろうか。

少々ややこしくなって申し訳ないが、若者世代を表す言葉に「デジタルネイティブ世代」という表現があるらしく、この世代は、幼少の頃からパソコンやインターネットに触れてきた年代のことをいい、日本では1980年以降に生まれた世代を言うらしい。

また、それを年齢区分して現在25歳〜34歳くらいの人達を「ミレニアル世代」。また現在16歳から24歳の人達を「Z世代」と呼ぶらしい。「Z世代」や「ミレニアル世代」の特徴は、生まれた時にはもうインターネットやデジタル機器が身近に存在しており、生活の中でデジタルを活用することが当たり前の「デジタルネイティブ世代」であり、わたし達とはまったく違う新しい価値観で物事を見るという特徴がこの年代には備わっているらしい。

今回の衆議院選挙の大きな争点のひとつに「成長と分配」が掲げられており、コロナ禍の沈静にともなって平時に近い社会経済活動を取り戻した後、経済成長をどう果たしていくのか。それとあわせて成長の果実をどう国民に分配するのかが、選挙争点のひとつである。しかし、この考え方そのものが、古い政治体質からの政策となっていないかの検証が必要ではないだろうか。

ミレニアル世代やZ世代といった「ジェネレーション・レフト」の若者たちは、経済を成長させ、その成果を国民に分配するというシステム自体に懐疑的な考え方を持っているように思えるのである。

それを若者世代が、意識しているかどうかは別として、つまりは、資本主義の利潤追求型のシステムそのものに対して「デジタルネイティブ世代」は否定的で、市場原理主義から発せられる「効率化」かという言葉による小さな政府論や、身を切る改革という徹底的に無駄を省き行政のスリム化で経済を循環させるという手法そのものを体質的に受け入れいれることができない世代なのではないだろうか。

「デジタルネイティブ世代」の若者たちは、右翼と左翼や、保守と革新といった政治の言説につきもののこれら二項対立の概念そのものがこうした世代には存在しておらず、敵基地攻撃のための法案には賛成し、夫婦別姓や同性婚にも賛成するといった、いわば右も左も分からぬままに、自分にとっての「ど真ん中」を探り続ける個性を持っている世代だと理解すべきだと言うことである。わたし達世代が持っている共産党への違和感もなければ、ジェンダーや多様性に対しては、生まれながらに寛容さと共生できる体質を持ち合わせている世代であるという認識が必要だ。

彼らが求めているのは、もはや社会に分断を生む政治的イデオロギーではなく、気候変動など地球規模の課題を前に、人類社会がイデオロギーを巡って内輪もめをしている場合ではないと警鐘を鳴らしていると捉えるべきなのだ。自民も立憲もこの考え方の枠を超えないから、支持率も政治への関心も挙がらないのだと思う。だからこそ、その別の選択肢である“身を切る改革”が一定の評価を得ることとなる。

ブラック・ライブズ・マターや#MeToo運動など全世界に広がった市民運動のスタートはまぎれもなく、「デジタルネイティブ世代」の呼びかけによるものだ。日本においてもYouTubeに芸能人の小栗旬さん、菅田将暉さん、二階堂ふみさんらが出演し、投票を呼びかける「VOICE PROJECT投票はあなたの声」が大きな反響を呼んでいる。格差と分断がコロナ後の社会においても拡大するような日本となるのか、それとも一定のくさびを打ち極限にまで達しようとしている利潤追求型社会からの転換をめざしていこうという一歩を踏み出せるような選挙結果となるのか。投票率が左右されるようである。皆さん・・・必ず投票へ行こう!!!