部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2021年12月23日
大阪には被差別部落にルーツを持つ社会福祉法人が18団体存在しており、それを府内ネットワークで結んでおり、「つばめ会」という名称で活動している。
2012年に産声を上げた「つばめ会」の初代代表には、社会福祉法人あさか会代表の故山本義彦さん(2015年12月11日のコラムを参照)が就任されたが、亡くなられた後を受けて、加島友愛会の平田純博理事長が「つばめ会」の代表を引き受けてもらっている。
この社会福祉法人加島友愛会が創立から30周年を迎えるという。30周年の記念誌の冒頭、平田理事長が、「加島解放運動の成果と加島友愛会」という題で挨拶文が掲載されていた。目にとまったわたしは、平田さんの加島での解放運動に取り組んできたからこそわかる悔しさや今の運動に対する憂いが平田さんの人柄を通してよく表れている文章であり、とくに市内ブロック12支部に共通した同和行政依存の体質が招いた“既得権擁護による運動の低落”という厳しい総括が目にとまった。
どの部落にも存在をした解放会館や老人センター、青少年会館、診療所、共同浴場などが地域から無くなってしまい無残な姿が、運動と事業の結果を物語っていると総括されている。つまり、今の同和地区の現状を“無残”だと断定され、その原因は住宅家賃の応能応益制度によって、とくに若年層が地区外に流失し、部落共同体が活力を失ったことにあると指摘されている。
さらには、「1970年代頃に地域にはびこった利権・腐敗・排外主義を自分たちの世代で一掃させ、新生加島支部として再スタートしたにも関わらず、同和事業の中で指導者の世代交代とともに同和事業依存体質が深まり、運動は既得権擁護に低落、闘う組織が受給者組織に墜落、独自性・先駆性や向上心を失い、上からの指示でしか運動することができない、地域の行事を消化するだけの組織になっているように思う。」と耳の痛い総括だ。
続けて「事業実施の公正さも喪失、一部幹部には腐敗現象が生じ、地域住民の信頼を失ったことがある。」と厳しい。さらには、「厳しい競争一般社会の中でも差別と闘い自力で生活を切り開くという普通の道を選択するのではなく、公務員指向が強まり安易な方向を選択する者が増え、運動はリスクを避け既得権を擁護すること、活動は年間プログラムを消化するものに変質していった」というきわめて手厳しい総括である。
しかし、この厳しい総括だからこそ、「部落解放運動の拠点施設」を取り戻してみせるという気概のある解放運動を決意したと表明され、加島地区で次々に売却されようとする大阪市の土地を買収し土地を確保するということをこれからも続けていくと述べられている。そのため自力で資金を確保する努力を惜しみなく続けていると表明されている。また、福祉法人という領域を超え、障がい者や高齢者の分野に限らず医療・教育・貧困などの分野にも事業を広めていくと宣言され、そのためには人材の確保が何より重要であると指摘されている。そして、加島友愛会を「老舗」と評価されるよう努力していくと結ばれている。
平田さんらしい厳しい総括の中から大きな夢を持った展望も示されており、加島地域の地域経営に責任を持つとの宣言でもあるだろう。33年間続いた同和対策事業は、大きな地域矛盾といまは廃墟となった会館跡地や青少年会館跡地など、昔の“金網のまち”が、“廃墟施設のまち”へと変貌を遂げただけで、肝心要の部落差別からの解放は、まだ道半ばである。
府連は、この廃墟施設のまちから自分たちで地域を経営するための居場所をつくりだすために各支部を応援しようとコンサルを創設し、基金などを呼びかけ必死になってまちの経営に責任を持つ支部になろう。そのためには、一地域で法人格をもった社会的起業を創設していこうと呼びかけ、ようやく自分たちでやっていこうという決意と知恵を府連の各支部間での情報を共有することによって、相互に良いところは、取り入れていこうという運動の作風が出来つつあると思っている。
戦後焼土のまちから同和対策事業によって、環境改善を実現し、人間らしい生活を手に入れるという運動に取り組み、成果を上げてきたが、その住宅は年老い若年層は部落から流失し、活力ないまちに様変わりしようとしている。さまざまな年齢階層が地域共生社会実現のために、「部落解放運動の拠点」をつくりだすという運動の方向は、どの支部にも共通する課題である。
地域の影響力も地盤ももう一度部落解放運動に取り戻すという水平社100周年にしたいものだ。