部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
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1月末に行われた沖縄県名護市と南城市の2つの市長選挙は、自公推薦の候補がオール沖縄候補を破るという結果となった。これは、今年の秋に開催される沖縄県知事選挙で玉城デニー現知事の再選をめざそうとするオール沖縄陣営からすると大打撃とも言える結果であり、アメリカ海兵隊の新基地建設を推進しようとする自公を中心とする保守勢力の巻き返しという構図が強まってきたことを示す結果となった。
とくに名護市は、言うまでもなく辺野古地区に米海兵隊の新基地を建設しようという現場そのものであり、オール沖縄側の象徴とも言える地域でもあることから基地建設容認が反対を上回ったという結果は、新基地反対運動にも大きな打撃であることはいうまでもない。玉城知事も連日応援に入り、基地建設中止を訴えたが、基地建設を容認する候補は、基地問題には一切触れることなく交付金や補助金のメリットのみを強調し、勝利するという選挙結果となった。
有権者の声が新聞各誌で紹介されているが、「基地建設そのものには反対であり、反対運動にも参加してきたが、国は一切聞く耳を持たない。それなら交付金や補助金がこの地域に配られ、学校給食の無料や地域をくまなく走る無料バスの運行という目に見える利益を選んだ」との声が紹介されていた。
また、「もはや国への抵抗は無駄で、知事がいくら頑張っても工事は進められ、それならその見返りに予算が国から大幅に配分されるならそれを選ぶ」とのもはやあきらめの境地ともとれる感想が掲載されていた。
この本質的な焦点は、「カネ(予算)か、イノチ(世界一危険な基地)か」という縦糸と、「理想(基地建設中止)か、現実(基地は建設されるが、まちや地域は潤う)か」という横糸の問題であり、差し迫っては有権者の求めたものは、カネと現実を選択したことになる。つまり、新基地が建設され爆音という騒音被害やアメリカ兵の犯罪といった、どんな危険が目の前に迫ってくるのかわからないというような“不透明なリスク”より、そんな取り越し苦労をするのであれば、“目の前のカネを選んだほうが良い”と言うことを選んだことになる。
最近のさまざまな選挙結果を見ても理想や希望といったこの国のありようという向こう十年を決めるような路線対立という構図は消え、さしあたって目の前のコロナ対策や経済対策にどんな主張が展開されるのか、それのみが有権者の判断となって勝敗が決するという昨今である。
2009年に政権交代が実現し、当時の民主党政権が誕生した。大阪でいう維新の勢いが、そのまま当時の民主党にあり、それが全国的に広がっていき政権奪取という現実となった。その焦点こそが、マニフェストという政策そのものであり、看板政策に「子ども手当」を掲げ、高速道路料金の無料化、年金一元化や7万円の最低保障年金制度の創設、ガソリン暫定税率廃止といった自民党では実現できない政策を掲げたことが、圧倒的な支持へとつながったと言えよう。
さらには、普天間基地問題に至っては、「最低でも県外」、国外移転の方針をマニフェストに盛り込むというサービス精神旺盛の政策集である。ここに有権者の期待は集まり、長い自民党政権への惰性とも言える支持を、「一度は民主党にやらしてみたら」と転換が起こり、見事政権が交代するという事態に至ったのである。しかし、現実は政権運営がマニフェスト通りにはいかず、停滞や方針転換、普天間に至っては断念という残念な結果となり、結局は、自民党が政権への先祖返りを果たし、「やはりある程度安定的な政権を選んでおこう」とする有権者の冒険心は薄れ、改革への期待も尻すぼみとなった。
沖縄のふたつの市長選挙結果が教えてくれているのは、「ものすごい怒りも時間が経てば忘れる」ということなのか。それとも「他にテーマを与えれば、気がそれる」のか、もっと言えば「嘘でも繰り返し断定口調で言い続ければ信じてしまう」のか。そして、結果的には目先の利益を優先してしまうのか・・・断じてそんな選択を有権者が選んだわけではなく、政治がそれに答え切れていない反映だと捉え、政治の役割の大きさを改めて考えねばならない深刻な事態であると警鐘を鳴らしたい。
つまり、命が最優先され、そのための社会がどうあるべきであるかという理想を掲げ、そんな方向を提案し続ける根本原理に立ち戻るべきが、本来の政治そのものである。
わたしたちは、命と理想を忘れた政治にこれ以上振り回されてはならない。