部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2022年4月8日
イギリスの慈善団体「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」という団体が毎年10月に公表するWorld Giving Index(世界人助け指数)という報告書が話題となっている。
これは、アメリカの市場調査会社が、100ヵ国以上、12万人を超えるインタビューをベースにした調査結果報告書で、「この1カ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」「この1カ月の間に寄付をしたか」「この1カ月の間にボランティアをしたか」という3つの質問から成り立って分析されているそうだ。
昨年に発表されたレポートには、「見知らぬ人を助けた」割合が、世界の55%(約30億人以上)という過去最高の数字だそうで、寄付の総額も、ボランティア活動の水準も比較的高い結果がもたらされたと報告されている。コロナ禍という未曽有の世界的危機が、人々を助け合いの方向に導いたのかもしれないと分析されている。
国別ランキングでは、前回トップだったアメリカに替わり、1位にランキングしたのがインドネシアだそうで、決して裕福というわけでもないこの国で、10人中8人が寄付を行い、ボランティア活動をした人々は世界平均の3倍を超えたそうである。
その「世界人助け指標」の対象となった114の国々の中で、堂々日本はなんと最下位だそうで、しかも下から二番目の国とのギャップが非常に大きいそうだ。ちなみに前回の日本の順位は107位でさらに下がってしまったと言うことらしい。
日本の最下位について報告書は、「日本は歴史的に、先進国としてはめずらしいほど市民団体が少ない。チャリティーの規則は複雑で、国の対策に対する期待が高く、組織化された非営利団体の登場は比較的新しい現象だ」と分析されており、調査項目の1つ「見知らぬ人を助けたか」という点においても、日本は114位と最下位で、「人々の生活を助けるのはそもそも国の仕事」だと、行政に頼りすぎる傾向が強く、国や地方自治体がやるべきことで、困っている人への支援は、“お上”の仕事だと決めつけている傾向が高いようである。
制度からこぼれ落ちる人や制度そのものから排除されている人達への支援という点では、NPOや社会的起業などはまだまだよちよち歩きの未成熟の段階と言わざるを得ないのが日本の現状のようだ。
連日繰り返し映し出されるロシアによるウクライナ侵攻による残虐なまちの様子を観ながらこの2022年を迎えてまだ戦争が勃発しているという事実を直視しながら、実はどっかで遠い国のことで対岸の火事という認識から抜け切れていない自分と遭遇する。人助けにも無関心。残虐な映像にも他人事。自分さえよければ良いという考え方が日本社会に蔓延し、他人のことなど気にもしないなんと冷たい国になってしまったのか。世界人助け指数最下位の日本に人権など根付くはずがないと悲観的に受けとってしまう落胆するほどの現状である。
ここは逆手にとって、逆にポジティブに物事を考えてみよう。
これほど冷ややかで希薄な人間関係だからこそ、“人助け”にチャレンジする市民活動があって然りである。ふーどばんくOSAKAが大阪で活動を開始してから9年・・・いよいよ来年は10周年である。世のため、人のためという理念で、食材を提供し続けてきた。この2年間はコロナ禍という影響から途中解雇された母子家庭の母親や、突然職を失った中高年のひとり暮らしの男性などから食支援を求めるメールや電話が殺到している。富を持つひとと持たないひととの格差は間違いなく広がってきており、とくに富を持たない生活困窮のひとたちの困窮度は増しているばかりの現状である。
これも“お上”が登場して大岡裁きを期待したいところではあるが、政府や地方自治体による支援は時間が要する緊急への対応には不向きであることが、これまでの行政の体質から導き出された答えでもある。焦眉の急を要する緊急時にこそ、NPOや社会的起業の出番であり、社会的弱者のSOSに機敏に対応できる社会運動の必要性が高まってきている今日この頃である。決してこうした社会運動が行政の代役や控えといった役割をこなすという発想ではなく、社会課題に切り込む市民活動という新たな領域にチャレンジしているという役割が世間一般にオーソライズされなければならない。
不名誉な“人助け指数最下位”-日本というレッテルからの脱却を実現したいものである。