部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2022年10月15日
専門家11人にも及ぶ鑑定人の協力を経て、いよいよ狭山第3次再審請求における裁判は、大きな局面を迎える事となった。3次再審を求めてからでも16年と5ヶ月が経過、裁判所、弁護団、検察による三者協議だけでも13年を重ね弁護団は鑑定人尋問要求というカードを切り、裁判所の判断を求めるという勝負に出た。1963年(昭38年)に狭山事件が発生して以降、当時24歳で逮捕された石川一雄さんは83歳。来年5月には事件発生から60年という歳月を数えることとなる。
石川さんが元気なあいだに、再審の門をこじ開けさせるためにも鑑定人尋問、事実調べを裁判所側に認めさせ、実現させるという世論構築の運動が不可避である。正念場を迎えた狭山再審闘争はいよいよ大詰めの闘いに突入したこととなる。
新たな証拠を作成した鑑定人の証人尋問要求や、事件後に石川さんの自宅から発見されたとされる万年筆のインクの鑑定実施を求める請求書を東京高裁に提出した。いざ決戦の時を迎えたことを意味する裁判情勢となり、こうした状況を受けた中央本部は、全国の都府県連を訪問し、いよいよ勝敗を決する重大な局面を迎えた狭山第3次再審闘争であるという訴えを行い、全国20万筆署名活動の展開やえん罪である狭山事件の再審への世論構築を呼びかけた。
わたしも九州各県や東海地方を訪問させてもらい解放同盟各県連はもとより、狭山住民の会のメンバーや宗教者の仲間、さらには、解放共闘に結集する労働組合の幹部の皆さんに現状を訴えた。
とくに労働運動に参加する多くのメンバーは、1963年に発覚した狭山事件以降に生まれた世代の方々が多く、組合運動や会社入社後に、埼玉県で起こった狭山事件を知った世代であり、獄中生活を余儀なくされていた石川さんというイメージではなく、94年の仮釈放以降の石川さんというのが、若い労働運動のリーダーたちのイメージなのだ。
つまり、わたしたちの世代は、小学校・中学校を通して狭山同盟休校や74年寺尾判決に抗議する全校集会などを体験した世代であり、文字通り学生時代が狭山時代ともいえるわたしたちの感覚とまったく違う世代の人たちが、狭山第3次再審闘争に取り組んでいるんだという実感を持つようになった。解放同盟が50年以上にわたって、狭山の闘いを牽引してきたが、あらためて新たな世代による狭山闘争に移行しているという事を肌で感じるという活動となった。
部落差別にもとづくえん罪事件である「狭山」という側面よりも理不尽で不透明な数々の証拠や証言、科学的根拠にともない石川さんは無実だと確信できる「狭山」というえん罪事件として理解しているメンバーが多いというのも最近の特徴だといえるだろう。石川さんの子どもの頃の極貧な生活状況や不安定な就労の実態。決して真面目だとはいえない素行の問題や読み書きが不十分であった暮らしぶりが、部落差別が障壁になって、まともに学校に行けなかった現実や安定した仕事の機会から阻害されていた実態などが、狭山事件の犯人として「部落の人間ならやりかねない」という虚像がつくりあげられていったえん罪事件であるという狭山事件の原点が、少し薄らいでいる傾向に感じられる。
しかし、事件から来年で60年となり、当時と部落差別の現状が相当変わってきているという現実から考えれば、部落差別にもとづくえん罪事件という特徴が後退してしまう面は否めない現実なのかもしれない。
1963年(昭和38年)に埼玉県狭山市で起こった女子高校生誘拐殺人事件を多くのひとたちに石川一雄さんはえん罪であり、無実であるという客観的世論を高めていくためにも、とくに94年の石川さんが仮釈放されて以降に部落解放運動や労働運動、狭山住民の会などの活動に参加した新たな世代とも言うべき狭山新世代のひとたちが、石川さんの無実を確信したポイントは何なのか、どこにあったのかなどを共有し、世論構築に繋げていくというバトンリレーが求められていくのではないだろうか。
新たな狭山新世代に届くかどうかは別として、今回ネット上での狭山事件のバナー広告に取り組みたいと考えている。GoogleやYahoo!の検索サイトを活用して3日間であるが、ネット上でのバナー広告を企画している。新聞やテレビなどから距離を置いている若い人たちをターゲットに自分が検索したサイトに広告として狭山事件の石川さんが登場してくると言うネット広告である。どれほどの反響が期待できるかは不透明ではあるが、狭山新世代の届ける新たなツールとして期待したい。狭山事件のえん罪はいつかは晴れることとなるだろうが、石川さんが元気なあいだに再審開始を届けられるかどうかはわたしたちの頑張り次第である。さらなる奮闘を訴える。