部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2022年12月8日
「男でも、首相になれるの?」
この問いは、ちょっと古いが、今年1月6日に朝日新聞に見開きで大きく掲載された宝島社の企業広告だ。「男でも、首相になれるの?」との疑問は、ドイツで子どもがよく大人に尋ねる質問らしい。
つまり、16年続いた女性のメルケル氏が首相を務めたドイツでは「男でも、首相になれるの?」と子どもたちが思っているという広告なのだ。
その説明として、「わずか16年で、常識なんてぱっと変わる」「次のガラスの天井は何だろうか。(中略)ほんの少しでもひびが入れば、ガラスはもろく壊れてゆく」
ジェンダーをはじめとする、世界中のさまざまな課題。解決が難しいと思えるものも、実はわずか16年という時間があれば、解決できる。重い腰をあげることができれば、あっという間に常識は塗り替えられる。2022年。新しい年の始まりに、新しい世界を生み出そうとする人の背中を少しでも押せればと思います。と綴られていた。
間違いなく日本では、「女性は首相にはなれないでしょう」との意見になるだろう。いまなら「首相は判断しないひとが良いでしょう」とか、「聞く力ではなく、何もしない力でしょう」ということになるのか・・・世相に流される常識というのは、あっという間に塗り替えることができるというが、わたしたちのように凝り固まったアタマでは、なかなか古くさい思考回路から抜け出せないのが現状のようである。
16年という時間軸が、常識を根底から変える期間とするならば、それを4年をワンクールと捉えれば、4期16年という計算となる。変革への時間軸を4期に分類すれば、やはり起承転結という区分けになるのか。しかし、ここは思い切って「結」を真っ先にもってきて、「結句」を何にするのかを決定する4年として議論をスタートさせようという提案はどうだろうか。
水平社が結成された1922年から二十数年を第一期「糾弾闘争主導の時代」と分類し、続いて戦後から四十数年あまりを「行政闘争主導の時代」、そして現在までの二十数年間を「共同闘争主導の時代」として第一期から第三期を分類すれば、大阪の部落解放運動は、この近年は、「地域共生社会の実現」という新たな段階に突入しており、いわば第四期の部落解放運動の創造・実践に入っていると分類して良いのではないかと2022年の新年のあいさつでわたしの方から提案させてもらっている。
つまりは、結句のキーワードを「地域共生社会の実現」というテーマに設定し、第1期の4年間を“地域を経営していく”という視点で、コミュニティを再生させ部落が持っている資源(隣保館など)を社会的課題解決のために役立て、地域共生社会の実現にむけて奮闘するという部落解放運動第四期論としての実践にとりくみ経験や体験を交流させる4年間にできないものかとイマジネーションは膨らむばかりだ。
こうした議論の過程で、わたしたちは“何を変えるのか”という課題に直面することとなると思っている。「名称なのか」「綱領規約なのか」「組織の形態そのものなのか」「本部や都府県連、支部という上意下達(じょういかたつ)をどうするのか」「部落のひと以外のネットワークをどう考えるのか」などなど、16年という月日で、被差別部落に向けられている差別と偏見から文字通り完全解放を迎えることができるのか。従来の常識を根底からひっくり返す部落解放運動の展開をめざしたいと提案したい。
前号のコラム(水平時評241号)で、「閉鎖的」「貧しい」「暗い」「こわい」という部落に対する四大悪とも言えるイメージを転換させようと提案させてもらった。つまりは、16年後に「わたしも部落解放運動のネットワークの一員になれるの」と子どもたちに言われるような被差別部落の地域が、共生社会実現に向けて多種多様にとりくまれ、大阪の各部落で雨後の筍のように広がっていくような活動を展開することによって、差別と偏見、誤解を一掃する部落解放運動へ挑戦していこうという訴えである。
“常識は塗り替えられる”のなら、部落差別をなくすという段階で留まるのではなく、「わたしたちも部落で生まれて人権のまちづくり運動に参加したかった」「被差別部落○○地域の皆さんのおかげで安心して暮らせます」といったプラス志向の“差別から信頼”へ、バージョンアップの部落解放運動を創造しようではないか。