部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2023年5月26日
「環境のゆがみが生んだ犯罪 用意された悪の温床」(埼玉新聞)
「石川の住む『特殊地区』には毎年学校からも放任されている生徒が10人くらいいるという…こんどの事件の捜査の過程で同じような犯罪をおかす危険性を持つ多数の若者たちの存在が浮き彫りにされた」
「犯罪の温床四丁目部落 ○○さん殺しの背景」(東京新聞)
「○○さんの死体が、四丁目に近い麦畑で見つかったとき、狭山の人たちは異口同音に『犯人はあの区域だ』と断言した」。
60年前。埼玉県狭山市で起こったいわゆる狭山事件で、当時24歳の石川一雄さんが別件で逮捕されたときの新聞の報道内容である。
この当時の新聞報道を見てもわかるように、犯人は、石川さんでなくてもよく、“悪の温床”といわれる被差別部落の青年で、犯行当日のアリバイに少しでも疑いがあるようなものなら誰でも良かったかのような記事が各誌に掲載されている。
1963年5月に発生した狭山事件では、身代金を取りに来た犯人を目前にしながら警察は取り逃がすという大失態を起こし、その直前の3月にも吉展ちゃん誘拐殺人事件で犯人を捕まえきれないという警察の焦りからか、狭山事件での被害者の死体が発見された5月4日には警察庁長官が辞表を提出。国会でも取り上げられるなど大きな政治問題にも発展し警察側が追い込まれるという事件である。
焦った警察は、部落に対する予断と偏見にもとづく見込み捜査を行い、石川さんの他にも3人の部落青年が逮捕されるなど、強引な逮捕や自白の強要が行われた。その背景には当時の根深い部落差別意識が新聞報道でもわかるような世間にある差別意識を利用して、石川逮捕にまで踏み込むという露骨なえん罪事件が、狭山事件である。
事件の直後から地域住民の間では「あんなことをするのは部落民に違いない」といった差別意識が露骨に表れた事件であり、言い換えれば、石川さんでなくても部落の青年であれば、誰でも良かったかのような“特殊地域”−いわゆる被差別部落に対する差別意識を利用したえん罪事件そのものである。
事件当時、被差別部落の地域に対しては、「カワダンボ」という部落に対する蔑称を使って、差別が日常茶飯事であったと当時の様子が語られており、農家に取材にはいると四本指を出して、犯人はこれだと言われたと新聞記者が語っている。
「環境のゆがみが生んだ犯罪」「用意された悪の温床」といった見出しで、「さびれゆく基地の町のスラムとその周辺にひろがる”茶どころ“の豊かだが閉鎖的な農村 — この対照的な二つの環境」と報じている。狭山事件発生当時、埼玉県および狭山市においても部落差別が根強かったことを反映している。
また、当時の国家公安委員長が、記者会見でつぎのような発言をしている。「こんどの事件はきわめて遺憾だが、犯人は知能程度が低く、土地の事情にくわしいものであり犯人逮捕はできる」(『埼玉新聞』)「①犯人は土地カンがあるということ②二十万円を大金だと考える程度の生活で③知識のあまり高くない人。と予想できるので、遠からず犯人は逮捕できる」(『朝日新聞』)と紹介されている。
警察のメンツを確保するという大前提の捜査方針が最優先され、そのためには露骨な差別意識を最大限に利用し、アリバイのあいまいな部落青年をやり玉に挙げ、石川さんを含む3人犯行説まで登場するなど、部落への見込み捜査と偏見に基づく取り調べが続けられ、結果、石川一雄さんが犯行を認めるという自白強要にまで至っていくのである。最大の被害者は、まぎれもなく石川一雄さんであり、24歳で逮捕されてから60年。現在は、84歳という高齢である。
こんな悲劇をもたらして良いのであろうか。参議院本会議で警察のミスを追及された当時の国家公安委員長は、記者会見で“何としても生きた犯人をつかまえる”と発言。是が非でも事件を解決して警察の威信を回復したいとの一身で、そのメンツをかけた捜査が、被差別部落への集中的な見込み捜査へとつながり、ひとりの部落青年が犠牲になり、えん罪事件に巻き込まれていくのである。
あらためて差別裁判であり、不当逮捕である。部落差別に基づくえん罪事件である。だからこそ一日も早い再審開始、無罪を実現せねばならない。60年もの長き負の歴史をこれからも続けるわけにはいかないのである。5月23日不当逮捕から60年目を新たな決意で迎えよう!