Vol.256 無力感の蔓延 民主主義の危機

タレントのりゅうちぇる(ryuchell)さんが急死された。

原因は、いまだ不明な点が多いようだが、TwitterやSNSでの誹謗中傷がりゅうちぇるさんを死に追い詰めたようである。

そのことに関して、ある国会議員が「TwitterやSNSで誹謗中傷をして侮辱罪等の刑法犯に該当する者はアカウントを削除した者も含めて『すべて』逮捕すべきだと考えます」と情報発信しているのが、目に止まった。

「侮辱罪の厳罰化」は2020年5月に女子プロレスラーの木村花さんがインターネット上の誹謗中傷を苦に自殺された事件が契機になったと言われている。

しかし、現実は、木村花さんを誹謗中傷した者は多数存在したらしいが、実際に立件されたのはたったの2件にとどまり、刑罰は9000円の科料で終えている。

基本的人権について日本国憲法第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めている。しかし現実は、生命に対する国民の権利は、最大限尊重されるべきと憲法で規定されているにも関わらず、ネット社会では、それが無法地帯であり、法の解釈が及ばない誹謗中傷と人権侵害行為が吹き荒れている。

英BBCは2022年5月に、「日本は静かに平和主義を放棄している」と報じているが、肝心の日本国民にはその自覚がまったくないようである。「平和主義」が崩壊の危機にあるとは誰も思っていないのだろうか。

国政選挙であろうが、地方選挙においても50%の投票率にもほど遠く、単独の首長選挙に至っては、ギリギリの30%をなんとか確保するのがやっとである。何度やっても選挙の結果は変わらず政権交代は起きないという社会では、投票の意味がわからなくなり、過半数の人が選挙に行かないということが起こっている。

集団的自衛権に反対するデモの波や、LGBT法成立に向けた国会前で繰り返される集会など、性的少数者に対する差別と偏見、いじめなどを克服し解消していこうという法律も、逆に多数を擁護し、性的少数者には失望感が広がるという結末など、市民の無力感はさらに募り、一部にはあきらめが広がり、事実上の専制主義に近づいていっており、まさに「民主主義」の深刻な危機が到来しているとは言い過ぎだろうか。

わたしたちは、部落差別に抗し、あらゆる差別の撤廃に奮闘する。しかし、最近の流れは、それを許さないほど覆い尽くそうとする妖怪がこの国には存在しているのではないだろうか。そう思うほどの絶望感が広がり、日本の隅々にまで蔓延してきているように思うのは、わたしだけだろうか。

旧統一協会問題も騒がれたのも一時のことで、いまだ協会は存在し、その被害の広がりがおさまった話など聞いたことがない。マイナカード取得においてもはじめは任意であったものが、実質強制に代わり、個人口座にひも付けされる事で各国民の収入状態や資産状況など懐具合が把握され、将来新たな課税案や負担増の情報源として使用されることは間違いない。さらに政府によるすべてのひとの個人情報が国に管理されることを意味している。また、政府が一気に防衛政策の大転換に踏み切り、今後5年間で43兆円の防衛費を積み上げGDP比2%に拡大し、「いけいけ、ドンドン」の雰囲気だ。

すべてリベラル勢力が中途半端にしか反対運動を組織できず、肝心なところを保守勢力に持って行かれてるという敗北だけではなさそうな昨今である。

抵抗や無抵抗といった類いではなく、気がついたら防衛費の増額が決まり、軍事大国へ一直線という道筋であり、性的マイノリティ問題も多数の安全を確保するために性的マイノリティは振る舞いに気をつけるようにと忠告されるような法案が出来上がってしまったり、国民のすべてをカード一枚で監視下におくという路線が登場したり、すべてのひとがマインドコントロール下に置かれているような状態だ。

何が正しいのかという判断よりは、陶酔したかのような虚ろな目で、いつしか政治や経済や物事が、そちらの方に流されていっている世の中だ。りゅうちぇるさんのようにひとりで悩み、最後はひとりで死を決断することはあってはならない。やはりわたしたちには仲間がいる。決してひとりではない。それを確認しておこう。