部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2023年10月31日
「Nothing About us without us(私たちのことを私たち抜きで決めないで)」との言葉は、障がい者当事者団体であるNPO法人DPI日本会議の合い言葉である。
当事者としてのアイデンティティーを尊重し、当事者しかわからない差別の現実を世に問うという心の声である。同じ差別撤廃と人権確立を求める個人や団体・組織においても他のマイノリティの問題は尊重しなければならないし、当事者の意見が反映されなければならない問題である。
大好評を続けている映画「福田村事件」において、ハンセン病回復者の当事者メンバーたちから問題提起が行われている。
間違いなく映画「福田村事件」は、重層的な差別の問題をとりあげ、複雑に絡む人間模様と朝鮮人、被差別部落民、ハンセン病回復者などに対する根強い差別意識を映像に映し出し、悲惨で残虐な行為にひた走っていく村人たちの変貌を描いた映画であり、上映時間に制限があることは理解するが、マイノリティそれぞれに対する根強い差別意識が変遷されていく過程も違うし、歴史的背景も異なることは言うまでもない。
それぞれのマイノリティをそこまで深く掘り下げて描くほどの時間に余裕はない。しかし、描かれたマイノリティにとっては、「恐ろしさ」「悲惨さ」だけを強調される対象として映画に登場し、決してそこには、尊厳ある「人間」として描かれていないように感じるという当事者たちがいることを忘れてはならない。
とくにハンセン病患者の描写部分については、唐突にハンセン病患者を映画に登場させ、行商である被差別部落の薬売りから言葉巧みにだまされ、ただただ惨めな存在のように描き、差別だけが強調される描き方にハンセン病回復者の当事者たちは、単純にイヤで、辛い思いの場面であったと振り返る人たちが存在している。
さらに、ハンセン病の症状や後遺症を正しく伝えるという映像ではなく、むしろ「恐ろしさ」「悲惨さ」を強調するだけにとどまっており、すべてのひとに等しく存在しているはずの尊厳ある「人間」として描かれていないとの感想を持つに至ったと当事者たちは、声を上げている。
間違いなく、映画「福田村事件」は、差別を憎み、差別を容認するような事態になれば、差別が暴力となり、集団的な殺人行為にまで発展すると言うことに警鐘を鳴らした映画である。つまりは、差別撤廃と人権の確立を求めた映画であることには敬意を表したい。
しかし、映画の中では「らい」という表現が登場するが、その説明もなければ、歴史的経過についても触れることはなく、淡々と映画は続いていくというストーリーである。
1996年の「らい予防法」廃止時に「ハンセン病」という名称に変更され、そして、「らい」そのものの言葉が、過去にどれほどの壮絶な差別と偏見が繰り返され、親子関係や兄弟関係まで絶って、孤立していくハンセン病回復者たちが生きてきた壮絶な人生があることを否定してはいけない問題である。
今回の映画「福田村事件」での描き方は、「おそろしい伝染病」の患者たちが、隔離され集団で貧しい暮らしをしているというシチュエーションをつくりだし、そこに被差別部落の行商人が少しでも醜さや見た目を改善するための塗り薬を高い値段で売りつけるという差別の構造的な要素を映画でとりあげることによって、差別・被差別の関係性を問うという映画にしたいという制作者側の意図が見て取れる。
では、そういう描き方をしたいのであれば、少なくともハンセン病回復者たち当事者との事前による意見交換の場やせめてハンセン病がどういった症状で見た目にもどんな状況なのかをリアルに学ばれることの重要性は否定できない問題であるはずだ。
被差別部落の歴史においても全国の各被差別部落の地域と在日朝鮮人の集住する地域とのいざこざや対立、同和対策の受給をめぐっての混乱などの歴史的経過を有している。しかし、どちらも差別されるマイノリティとしての連携や協力も長い歴史の中でつくりあげられてきた団結の力である。
時として差別は、マイノリティを分断させ、そこにくさびが打たれ、分断から分裂という本来手を取り合うべきマイノリティが分裂させられるという悲しい歴史を経験してきている。映画を制作した側の人たちは、決してそんなことを望んではいないだろう。しかし、真摯にマイノリティの意見に耳を傾けないと小さな亀裂を生んでしまうことにならないか・・・警鐘を鳴らしておきたい。