部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2023年12月8日
「今日も机にあの子がいない」という言葉は、人権教育や同和教育の原点とも言われる言葉である。
いわゆる貧困のため教育費が払えない。小さい子どもの世話で学校へ行けないなど、貧乏と社会的な課題が子どもに集中し、学校へ行けない日が続き、「机にいない」と表現した言葉である。
現在をこうした社会的課題に照らして言葉にしてみると、「今日も子どもはお腹を空かしている」という言葉になるのではないかと想像してしまう。
12月6日の水曜日、ふーどばんくOSAKA 結成から10周年を迎え、シンポジウムが開催され、現地で頑張って子ども食堂などを運営しているメンバーからの報告を聞いてますますその課題が浮き彫りになるというものであった。
“子どもたちの空腹”という答えになるわけだが、その数式はまちまちだ。
母子家庭のお母ちゃんひとりで、悪戦苦闘しながら生活しているため、晩ごはんはひとりで常にコンビニ弁当という子どもがいたり、タワーマンションで優雅に生活しているように一見見えているが、実は夫婦共働きで、帰りは常に深夜で、子どもはひとりさびしくカップ麺という食生活であったり、それこそ親からの育児放棄ネグレクトのため、スナック菓子でお腹を満たしていたり、親からの暴力・虐待で、食べることすら放棄されている子どもの実態があったり、答えは、「空腹」。しかし、実態はそれこそ多種多様という昨今の現状が報告されていた。
いつ如何なる時でも対応できるよう「うちの子ども食堂は、子ども自らが献立を考え、包丁を持って調理し、料理を完成させる」と子ども食堂を運営しているメンバーの報告があった。キチンと料理したモノを子どもに提供するという考え方ではなく、自分たちの自宅で簡単に料理して食べることができる子どもになれるよう日頃から“子ども食堂”で鍛練を積み、生き抜く力をつけるという発想である。食事を与えるという子ども食堂から、料理をみんなで仕上げていくというスタイルの新しい子ども食堂が提案されていた。
また、行政の取り組みもフードバンクなどと協力して、経済的自立に向かって頑張っているひとり親家庭を対象として食品提供のとりくみをスタートさせていたり、子ども食堂を取り組んできた経緯から、不登校気味の子どもがいたらその生活状況にまで入り込み、結局は、親への食糧支援などを通じて、自立を促す取り組みに発展してきたなどの報告が相次いだ。
つまり、「今日も子どもはお腹を空かしている」という現状は、それこそ家庭状況は千差万別であり、親によるネグレクトもあれば、虐待や貧困といったケースなど、枚挙にいとまがない。親たちに子どもを育てるという能力が不足しているのであろうか。もっと言えば親になる資格さえ疑わざるを得ない現状なのか。
「Futatsu:」−「生まれる場所を選ばなかった全てのモノへ」と題してポエムをネット上で発信しているコラムが目に止まった。最後の結びの所で、「たくさんの人生の先に、私たちが今ここに在ること。そのことを大切に、大切に抱きしめて。今私達にできるかたちで、みんなが互い認めあえる社会づくりに向き合いたい。歩みはゆっくり。無理をせず。時には『じれったい』と感じることがあるかもしれません。そんなこと言いながら熱く叫ぶ時もあるかもしれません。どうか気長に見守ってやってください。そのうちじわっと染みてきます。
『生まれる場所を選ばなかったすべてのものへ』発行に際し、ご理解、ご支援いただいた全ての方へ、感謝いたします。この読み物が、手に取られた全ての方にとって、生き抜くしんどさを、少しでもほぐす一助となれましたら幸いです。」と結ばれている。
親から虐待されるために生まれてきたわけではないだろう。お母ちゃんひとりで、朝から晩まで働きづめの親を選んだわけではないだろう。被差別部落の親から生まれることを選んだわけではないだろう。
自分が障がいを持って生まれてくることを選んだわけではないだろう。戦闘の地域ガザで生まれることを選んだわけではないだろう。でも自分がこの世にいま命をうけて、ゆっくりでも前を向いて生きていこうを思える社会をふーどばんくOSAKA10年を機にさらに前進せねばと思う。