Vol.270 目白田中邸の焼失、裏金問題、ネット規制の動き 政治の大きな転換

今年に入って1月8日、目白にあった田中角栄元首相のかつての自宅が火事となり、全焼したとの報道だ。「目白の田中邸」と言えば、昭和の自民党政治を象徴する存在であり、その歴史的価値が焼失してしまったということになる。

同時に、昭和から数えると2024年は、昭和99年の年にあたるそうで、昭和、平成と続いたある意味政治の転換点を迎えようとしているのか・・・それとも昭和・平成の政治が今後も継承され続けるのか、今年がその分水嶺の年であることを告げたのが、“目白の中邸”といわれた田中角栄元首相の自宅全焼という事件ではないだろうか。

田中元首相に象徴される自民党政治は、“派閥政治”と“金権政治”と言われ続け、旧田中邸が燃えて崩れていく映像は、「本当の意味で、昭和の自民党政治が大きく転換点を迎えている象徴的な出来事」と結びついているように思えるのである。

昨年末から発覚した派閥の裏金問題が最たるもので、自民党政治が派閥政治と言われる由縁でもある派閥の裏金問題が、派閥が悪いと言ってその解消を宣伝するのは、問題のすり替えである。そもそも裏金問題の全体像を知ることは、国民の知る権利であり、政治責任を問うために不可欠な事でもある。裏金を何に使ったのか、政治家には説明する義務があるだろう。

昭和から数えて99年を迎える現在を、それこそ日本の民主主義にとっての危機であるという認識を政治家ひとりひとりが自覚することがまずは必要不可欠なことである。しかし、この危機も時間が経てば次第に忘れられ、自民党は何もなかったような顔をして政権を担い続けるという事になるのではないかとの予感を持っているひとたちは多いだろう。

それは、これほど岸田内閣の支持率も自民党への支持率も低下し続けているのに、浮上しているのは、支持政党なしという支持率だけだ。対決姿勢にあるはずの野党の支持率はまったく上がらないという現状である。

つまり、国民は岸田内閣と自民党を批判しながら、別の選択肢を選ぶ動きがまったくない。それこそが日本の民主主義にとっての危機であることは言うまでもないが、起死回生の一打を野党に期待しても期待薄の感は否めない事実のようである。

SNS上の人権侵害に対して、プロバイダなどのプラットフォーム事業者が削除したり、違法・有害情報に対する事業者としての“削除指針”を策定し、公表することによって、少しでも差別的な違法・有害情報をネット上から大幅に削除・減少させようという法律の改正が、今国会で論議される手続きとなったようである。

わが方からすれば、長年のネット上の人権侵害に対して法規制を求めるという動きを進めてきた側からすれば、朗報である。

しかも発信者に対して、投稿の削除等を講じた事実及びその理由を説明することが適当とも指摘されており、発信者への通知を義務付けるという画期的な内容でもある。同和地区に対する摘示情報も削除基準に含まれるよう総務省はもとより、プロバイダなどのプラットフォーム事業者への働きかけを強めることにより、“削除指針”の中に位置付けられるよう求めていかなければならない。

こうした法改正は、大きな一歩前進ではあるが、あくまでプロバイダなどのプラットフォーム事業者による自主規制法案の域は越えていないという限界も示している。あくまで削除等の判断は、プロバイダであり、政府ではない。つまり、「なにが差別で、どこが人権侵害か」という判断基準を事業者側に委ねた法律だということであり、「表現の自由」を前にして、国や政府が判断するのではなく、その削除等の基準は、あくまで事業者側にあるという法改正である。

昭和から続いた99年間の政治は、差別を禁止し、人権侵害を受けた被害者を救済するという責任を国や政府が担ってこなかった歴史でもある。政治の転換点というのであれば、表現の自由は尊重しつつ、差別と人権侵害に絞り込んだ禁止と規制、そして救済という議論への転換という政治の変革の時ではないだろうか。まさに「昭和は遠くなりにけり」という政治を期待するものである。