Vol.281 部落差別を受けるのは誰か 「国民的課題」の意味は何だったのか

“「部落民」とは”、“「部落出身者」とは”、“部落に何らかのルーツを持つひと”とは、さらには、部落差別を受ける可能性のあるひとたちとは・・・

部落解放同盟の綱領では、「部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である」と規定されており、また、「被差別部落とは、身分・職業・居住が固定された前近代に穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域である」と説明されている。

政府が行った被差別部落を対象とした実態調査は、1993年が最後となっている。
その総務庁の調査によれば、全国には4.442の同和地区があり、そこに居住しているひとの中で、自分は部落の出身者であるという自覚を持っているひとは約89万人となっている。その一方で、4.442の国から対象とされた同和対策事業が実施された同和地区に住所を置く者の数字は、215万9千人近くに及んでいる。これは、政府が被差別部落の生活向上と環境改善のために進めた同和対策事業の対象になった人口の合計である。この調査の対象となっていない県は、北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島・東京・富山・石川・沖縄である。

逆に一般的な市民が「部落のひと」「同和地区のひと」をどう規定しているかについては、古い調査になって恐縮だが、2010年の大阪府民に対する意識調査結果が端的にあらわれているので紹介したい。当然と言えば当然かも知れないが、「本人が現在同和地区に住んでいる」を選択したひとが41.4%となっており、「部落のひと」とは、「現在住んでいるひと」と規定している人が多いことが理解できる。次いで、「本人の本籍地が同和地区にある」を選択したひとが、31.8%、「本人の出生地が同和地区である」が30.2%、「本人が過去に同和地区に住んでいたことがある」を選んだひとが19.2%となっている。

現在であれ、過去であれ、被差別部落=同和地区という場所に居住していたという事実から見れば、特別対策の対象となった人口215万9千人と被差別部落から何らかの理由で、転出したひとの調査はなく、データも存在していないが、相当のひとたちが、部落で生まれ育ったが、結婚や就職で転出せざるを得なかったひとたちの数字を加えれば、やはり300万人の兄弟という数字はまんざらでもないという事になるのだろうか。

日本全体の人口減という問題を加味しても250万人程度は、被差別部落で生まれ育ったか、親が被差別部落にルーツを持つ世代か、いやむしろ家族揃って、移り住んだ先がたまたま被差別部落の地域であったのかなどを含めた数字となる。これを1億2千万人という日本の人口で換算すると全体の6%あまりを占める数字となり、50人から60人にひとりが、部落に関係するひとの数字となる。

なるほど1965年の「同対審」答申が部落差別の解決を国民的課題であると指摘した一因が、日本全体に占める部落関係人口の数値が物語っていると言っても過言ではないだろう。つまり、当該の県内に被差別部落=同和地区が存在するか、しないかといった問題ではなく、“部落差別”は、どの地域であれ、どんな場面であれ、起こり得る可能性がある社会問題だと捉えることが重要である事という点を指摘したい。

ひとつのケースを紹介すると、ある女性が結婚で相手側から身元調査をうけ、自分の兄のつれ合いの実家が、被差別部落にルーツを持つ関係者だと断定され、結婚が破談になった事象である。女性は、自分が部落に関連していることなどまったく想定外であり、それこそ青天の霹靂だ。自分の兄のパートナーが、被差別部落に実家があるという調査結果によって相手側から結婚に反対されるという悲劇が彼女を襲った。しかもそれが後になって、部落ではなかった間違いであったという事実は、結局そこに被差別部落出身者という当事者が誰ひとり登場しない部落差別の典型的なケースである。

彼女は言う。「義理のお姉ちゃん周辺の身辺調査が問題なしという調査結果であったなら今頃わたしはあの人と結婚していた」「そして、間違いなく私の子どもの結婚の際に身元調査をしていただろう」と「それに気づかされた体験は貴重であった」と。

身元が調査され、部落に関係する当事者かどうかをアウティング(暴露)するという“部落差別”こそ根絶させなければならないそれこそ国民的課題である事を訴えたい。