Vol.282 「差別を受ける可能性」という核心にメスを入れる政策・実践を

「わたしの息子は、この部落で生まれ育ち成人となり、一般地区のひとと結婚し、いまでは住んでいた被差別部落を離れ一般の地域で暮らしている」「そこにわたしからいうと孫となる子がいるが、この子が被差別部落に関係しているとは本人は少しも感じていない」「また、わたしもそれを(被差別部落出身)教えていないし、正直このまま知らせないという選択をするだろう」と語ってくれたのは、もう80代後半になる鳥取の部落解放運動を牽引してきた良き大先輩の言葉である。

水平社の運動から100年以上が経過し、それ以前からの長きにわたる部落解放運動の成果もあり、今は当時とは比べものにならないほど、差別が見えにくく巧妙となっている。それは多くの先人たちが、被差別部落出身者という当事者の運動もさることながら行政や企業、多くの市民などによる努力が積み重ねられた結果といえよう。

つまり、おじいちゃんが部落解放同盟の運動に参加し、そして幹部となり、自身が被差別部落の出身者であることは公然たる事実として周囲はみていただろう。しかし、そのお孫さんに対して、おじいちゃん自身の出自を語ることは難しく苦慮していると言う。心のどこかで、お孫さんの結婚の際に、相手方から身元が調べられ、「母方の出は、一般地域だが、父方の出は、被差別部落であり、祖父は今も被差別部落に住所を置いて生活している」と報告されるような事態に陥ったらとの一抹の不安がよぎる。

やはり部落問題は、出自を曝かれはしないかというアウティング・暴露される可能性がある差別問題である。ひとりの人生においてこのアウティング、つまり部落差別をうける可能性をもつ人たちは、どれぐらいの対象者数となるのだろうか。このお孫さんもそのひとりと数えれば、本人は、まったく被差別部落の関係者であるという自覚もないままに差別される可能性のある対象と見なされる事となる。

また自覚しているかどうかは、別として都市型部落といわれる被差別部落に現住所を置いている人たちもまた、「現在、被差別部落に住んでいる人を部落出身者と見なす」という市民意識からみれば、部落差別を受ける可能性のある対象者となる。その地域で暮らし、その地域に出自を持つ者、その身内の人たち。こうしたすべての人々が、部落差別を受ける可能性がある対象者として見なすと、実に無意味な問題が部落差別であり、荒唐無稽なことだと言える。

被差別部落というフィルターをくぐり抜けた人たちすべてが、「部落差別を受ける可能性がある対象者」と見なすという現実は、やはり被差別部落の側に責任のある問題ではなく、「フィルターをくぐり抜けた人たち」を差別する社会構造に問題があることは明白だ。

去年2023年の6月に東京高裁が示した判決文は、「本来、人の人格的な価値はその生まれた場所や居住している場所等によって左右されるべきではないにもかかわらず、部落差別は本件地域の出身者等であるという理由だけで不当な扱い(差別)をするものであるから、これが上記の人格的な利益を侵害するものであることは明らかである」と指摘した。この判決は、画期的であり、文字通り言われなき差別こそが、葬られなければならない問題なのである。

あらためて「同対審」答申を見ると、部落問題の解決を「焦眉の急を有する」と指摘している。“焦眉の急とは”、「眉(まゆ)が焦げそうなまでに火が迫っているという意味から、事態が差し迫っているありさま」のことを言うらしく、一日も早い解決が急がれることを1965年に提案しているのである。この答申の指摘は、まずフィルターである被差別部落の環境を改善し、そこに居住している人たちの生活水準を高めることが優先され、それなりの成果をもたらすこととなったが、フィルターをくぐり抜けた人たちが差別されるという社会構造を打ち破るというところにまでは至っていない。

当時の被差別部落の生活水準が劣悪そのものであったことから、同和対策が最優先され、まずは部落の環境改善と生活水準の向上に力が注がれたことは当然と言えば当然と言える。しかし、同時にフィルターをくぐり抜けた人たちが差別を受ける可能性という核心のところにメスを入れる政策が乏しかったことは否定できない。人間が人間として存在するために譲ることのできないさまざまな権利の確立こそが、“人権”であり、それを民主社会の発展というプロセスにおいて実現することの重要性を運動側もあらためて噛みしめなければならない課題といえる。その実践を地域で取り組む。まさに第4期の部落解放運動、「地域共生社会実現の闘い」である。