Vol.283 「ワイドナショー」が就職差別を容認 果たして「無知」「誤認」だけの問題なのか

フジテレビ系列の番組に「ワイドナショー」という日曜日に放映されている番組がある。その6月30日に放映された番組で、東京都の就職採用面接動画が紹介され、ナレーションがつぎのような説明を加えた。

「このように本籍や出生地、家族の職業や地位など『本人に責任のない事項』や宗教や尊敬する人物など『本来自由であるべき事項』は、“就職差別に該当する”として面接時に尋ねないよう注意を促しました。この動画にSNSでは肯定的意見がある一方で、『なんでも差別にするとコミュニケーションがとれない』など疑問の声もあがっています」

面接時にタブーとされている「尊敬する人物」や「家族構成」「本籍や出生地」など就職差別につながる公正採用選考の違反事例の典型的な質問事項を容認するかのように番組で取りあげ、それを有名タレントが追随するかのように煽り立てた。

最後には出演していた弁護士までが、尊敬する人物や家族構成といった面接時の質問について、「『結局聞いちゃったらそれを悪く使う可能性がある』という世の中の建前があって、だんだんですが、ケアし過ぎみたいなところに感じることもあるんですが、そこまできちゃってるってところがひとつの問題」と就職差別につながる質問を弁護士という立場で擁護する場面も放映された。

さらに出演者たちは、「東京都がつくってることにビックリしちゃって。ホント暇なんだなと」「バカみたいじゃんこんなの」「就職差別につながるおそれがある14事項の中で、例えば尊敬する人物に関することもダメである…」「うちの会社に来たらちょっと面倒くさいかもわからないんでアウト(不採用)にするのはダメですよってことでしょ」など、問題の多い指摘があいついで番組で放映された。

おそらくテレビを見ている視聴者は、生放送での発言であり、修正が不可能なためそのまま垂れ流すように就職差別を容認し、公正採用選考基準こそ問題との番組になってしまったのではないかとの疑問がわいただろう。

しかし、現実は、何日か前での収録であり、番組構成をチェックし、修正をかけたり、問題発言を訂正したりすることもなく、そのまま放映されるという事態に至ったのである。しかも関係者の誰ひとりこうした面接時に差別につながる質問事項は問題であるとの指摘がなく、そのままスルーされ、放映されてしまうという失態は、フジテレビ総体における人権感覚が問われており、こうした就職差別につながる質問を容認するかの番組が放映されたことの重大さを指摘したい。

企業における採用選考体制は、一朝一夕にできたものでない。それぞれの企業の歴史や慣習があり、経営者や人事担当者の個性などによって、応募者の基本的人権が傷つけられたり、不採用という結末を迎えたりと不幸な歴史が事件にも発展したりを繰り返してきたのである。

さらには、意識的に差別する意図がなくても、従来から行われている方法の中には偏見に基づく予断が残存している例が少なからず見られ、結果として応募者が苦しんだり、悩んだり、本人に責任がない事を面接などで聞かれ、就職という人生のこれからという節目を逆に後ろ向きに捉え、就職への精神的ダメージを受け続ける人たちも少なくない問題なのである。

確かにフジテレビは、今回の番組放映について、真摯に反省し、二度とこうしたことが起こらないよう社をあげて再発防止に取り組むという態度を示している。そのポイントに「無知」と「誤認」を挙げている。つまり、こうした番組を放送してしまった背景には、無知および誤認がそうさせたのだと説明している。

果たしてそうだろうか。採用の面接時に厚生労働省が、就職差別につながるおそれがある14事項を列挙してそれを守るように呼びかけている。つまりは、コンプライアンスである。そのコンプライアンスそのものに疑問を投げかけ、応募者とのコミュニケーションのためには、「尊敬する人物」や「家族構成」などを聞くのは、当たり前であり、意思疎通のためには当然であると番組で紹介されたのである。

差別意識を意図するしないに関わらず、差別容認をメディアが持つ社会的な影響力を発揮してエセ的な情報を拡散したという事実をフジテレビは反省する必要があるだろう。

「本人に責任のない事」「本来自由であるべき事」は、就職時の面接では「聞かない」「書かせない」「調べない」というのが本旨である。それを応募者とのコミュニケーションがとれないから意思疎通のために「出生地」「尊敬する人物」などを聞くことなどは、応募者の基本的人権を侵すことであり厳に慎むべき行為であることを強調したい。猛省を促すものである。